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路傍の石

2.路傍の石


 次にもう一つ。皮肉を言うようだが、深山にこもり滝に打たれて、女を遠ざけ、他人が記した何万巻の書物を読了したからといって、それ故に彼は「(自動的に)偉いお坊さんか?」である。研究ばかりしている学者にも似た処がある。


 問題は、世の「実業・ビジネス」、即ち俗世間を知らなさ過ぎる事。世間には滝に打たれより遥かに多大な苦難が溢れている。働く(=はたをラクにする?)といった苦労は無いし、自力でセールスをして金を稼いだ事も無い。そんな経験が無い人は、人として致命的な欠陥があると言えなくもない。ついでに言えば、五体満足なのに働き盛りにブラブラしているフー太郎や職業無職なのも、ルンペン以下。


 人生を「生きる」とは、夥しい書物を読む事とは違うし、滝に打たれて自虐性を強調する事でもない。「生きる」とは実業をする事で、俗世間で競争し、人を押しのけ、出世にあくせくし、金儲けをし、ビジネスに励む事だと考えている。昆虫も動物もやっている事で、無論セックスも大いに含まれる。そうやって稼いだ金が無けりゃ、どうやって生きて行けるか、また子に食わせ育てられようか? 大して考えなくても、正解は分かる筈。


 お坊さん達は、他人が実業で稼いだ金からの寄進で成り立っている。ストレスまみれで戦ったり競争した事が無いのに、人生について一体何ほどの真理を知り得て・語り得るか、と私は大いに怪しむ。だから信用していない。仏教以外の何とか宗派だって同じ。


 返す刀で、若い人へも言いたい処はある:

 ヘンに何かを悟った者であるかのように、「私は多くを望みません」(=少欲知足)という人が、時々居る。私はそんな人も信用していない。何かを悟っているのではなく、やってみもせずに「求めても得られない」と若年寄りみたいに、人生を諦めている。言い換えれば「楽に屈している」のだ、その方が生きるのにラクだから。


 「勝ち負けは重要でない」と言う人は、恐らく大抵負けている。「少欲知足」も人生の落伍者か、そうでないなら、人生を斜( はす)に構えて皮肉に眺める、ただの「路傍の石」に過ぎない。「より多く・より豊かに・より幸せに」と求める気持や欲望は、生きる為の自然な衝動だし人の本性でもある。それが奮起を促し、人を活動的に生かす燃料。

 こんな処に「色即是空・金はちりあくた」を持ち込むのは、「生きるな」と教えるのと同じで、間違いでしょう。



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