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◎第四十話: ハイカラな話 

◎第四十話: ハイカラな話 


1.してもらう

 

 定年になって退職をすると、多くの人がこう云う: ①健康の為に毎日一時間のウオーキングをやっている。 ②脳がボケない為に俳句とXXXを勉強している。 ③触れ合いを求めて囲碁をやりXXXのボランテイア活動に参加している。

 結構な事だ。実際私の同級生がそう云うから、これを聞くと「体・脳・人との触れ合い」が老人の三大栄養素だと判る。


 「健康の為に毎日XXXをやっている」と言うが、「健康が最終目的」なのは少し寂しい。批判する積りは無いが出来るならば、健康を増進して、それを足掛かりに六甲山縦走をやる為、という風な目的を持ちたいもの。彼女とのデートで会話力を発揮する為に、脳トレでジョークを学びーーーという具合にである。

「健康」の先が無くて、ただ健康に生きる為に生きるというのは、良く考えて見るとかなりつらい事ではある。


 話が変わるが、医者になりたければ自分が勉強しなくてはならない、人が勉強してくれる訳ではない。自らが行動を起さなければ、人生なんて何も起きないし変わらないもので、誰かがお膳立てして医者にしてくれる訳ではない。このルールを長い年月、嫌というほど学んで来た筈なのにーーー、老人は不思議にそうしない。


 人がお膳立てしてくれるものと期待する。一緒に旅行をすれば、旅費は息子が出してくれるものと考え、レストランに入れば思いやりのある嫁が代金を払ってくれると考える。 配偶者を失くせば、悲しみを誰かが慰めてくれる筈だと期待する。年金は呉れるものと考え、ついでに、病院へ通う交通費と医療費も市が払ってくれるものと考える。


 「年寄りなのだから」という口実で老人はそう期待し、周りも期待に応えようとして、ついに「応えるべきもの」と、義務のように双方が思い決めてしまう。「して貰う」という受身一方で、これは老人の「甘え」であるが、「狡さ」とも言える。

 若い時のようにやれないのは分かるが、もう少しシャキッ!として欲しい。そうまでしなきゃいけないのなら、生きる価値があるとは思えないから、早く死んでしまえばよい。



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