◎第三十九話: 難解な算数の話
◎第三十九話: 難解な算数の話
1.兎に角、足すべきだ
小三の頃だから、昔の話。私は算数が苦手だった。
そうだったのに後年、微分積分が好きになり・大学で理系のコースを選択・今も理系の販売会社を経営し、技術計算をして開発の仕事さえ並行してやっている。これが同じ一人の人間の盛衰とは、自分でも信じにくい。だからーーー、人とは妙なもの。
小三当時、算数で母親によく叱られた。例えば:
「今年8歳の子供が、6年後に何歳になるのか?」の問題でしょ?
「ーーーー?」
「こんな問題、どうして分らないの!?」
「ーーーー?」
「8に6を足せば良いでしょうが! どうして足し算が分からないの! 14じゃないの!」
「ーーーー??」
こっちは、何故「足せば良いのか」が、分からない。何故「引いたらいけないのか」が、分からない。私は引きたかったのだ。
母親はいきり立った。
「バカねえ、何でもいいから、足せば良いじゃないの、足せば!」
ついに私は真理を悟った:数字が二つ出てくれば、兎に角「足せば」良いのだーーーと。たまには失敗して負けを拾う事もあったが、ラッキーな事に、これで大抵の算数の問題は片付いた。
それから一ケ月程経った別の日の宿題で、こっちに免疫力の無い新しい難問にぶち当たった: 「16個の蜜柑があって、4人の子供が一つづつ食べたら、蜜柑は何個になりますか?」
数字が二つ出てくれば、兎に角「足す」べきだから、16+4=20個と答えて、また母親に叱られた:「どうして間違うのよ、こんな簡単な問題。引けばいいじゃないの、引けば!」
こっちは非常に困惑した:数字が二つあるのに、足すべきか引くべきか、何を基準に見分けるのかーーー?
子供心に、世の中には何でも基準があると私は知っていた。男か女かは、おしっこの方法が区別の基準である。決して着ているものの形ではない。食べ物が美味いかうまくないかは、元の原料が土の中に埋まっているかどうかの基準で区別される。ニンジンやダイコンが旨くなく、ゴボウが最も旨くないのは、この為だ。
そうだのに、算数では二つの数字を足すべきか引くべきかの基準の線引きが、イマイチはっきりしない。ただ考えられるのは、母親は学校の先生とグルに違いないから、大人同士共通の基準に従うようだ。これを考慮に入れて考えに考えた末、ついに結論を得た:
どうやら大人の気分次第で足し算にしたり、引き算にするのだと薄々気付いた。だから「大人になるまで正しい答えは分からないもので」・「子供には到底理解出来ないほど」非常に込み入ったものなのだと、正しく理解した。
「子供はどうして生まれるの?」と母親に訊いたら、
「大人になって、結婚したら生まれる」
「ーーーー?」
「ーーーー?」
「結婚したら、どうして生まれるの?」
「ーーーー。大人になったら、自然に分かる」
「ーーーー」
子供が生まれるか生まれないかは、非常に込み入った問題なのだと、小三の私は正しく理解した。込み入っていても、足すべきか引くべきかは、大人になったら自然に分かるのだから、仮に算数が今分からなくても、生涯の重大事ではない。
当時の自分の深い思考を、今でも偉いものと思う。その証拠にこののち、私はぐんぐん成長して行ったからだ。




