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ルンペン生活

11.ルンペン生活


 一つの事を「思い込めば」その方向へ向かって「チョイスが重り」、同時に大きな「集中」というエネルギーを生むプロセスが良く判ります。注目すべきは、本人がこれに「無意識である」点です。だから、忍耐とか精神的努力の所謂「無理や強制」が入り込まない。エネルギー(=集中)は「飽きること無く」・「長続き」する事になります。逆に言えば、「無理・努力・強制」が入るならば、三日坊主となり長続きしないでしょう。


 これは、一滴一滴(集中して)貯めた水が、「知らぬ間に」風呂おけ一杯になるようなもの。或いは、三十センチづつの集中した歩みが、「知らぬ間に」三千米の山頂に達する登山と同じ。長続きして蓄積されるエネルギーは、常人の域を超えて巨大な力になるのでしょう。これの前には、実現しない「思いや夢」は無い。三千米の登頂もプールの家も、D製品ばかり売って世界でNo.1のセールスマンになるのも、根は同じ。一見常人には成し遂げ得ないように見えるけれどもーーー。


 一生と言う年月を掛けて「思い込んだ」エネルギーは、凡才でも人間国宝という域に達するし、もし何かの弾みで誤った方向に一途に「思い込めば」、テロ行為などのように激しい力で人を悪へ突き動かします。人間国宝もテロ行為も無関係に見えて、実は原動力は共通で「強い思い込み」。効果は絶大だから、良い方向へ使うべきでしょう。


 五十を過ぎた男の顔は、その人の生きた人生を現わしていると言います。これと同じで、「思うようになる」のルールを知っておれば、五十を過ぎた時点で「何をやっているか」を見れば、彼が「(それまで)何を思って」生きて来たかが判ります。


 その時何もやってなければ、何も思わず生きて来たのでしょう。

 もし淀川の河べりでルンペンをやっておれば、周囲が気の毒がって問題の深刻さを憂える必要はない。他人の思いは別にして、本人が「思った通りの、つまり念願していた通りに実現した人生」だった、と私は考えています。しがらみの無い、家族を養う責任も無い「気ままなルンペン」こそ、PL(=パーフェクト・リバテイ:完全なる自由)。密かに念願し「思い続けた」理想の生活。羨ましいですね、人から動物と混同されても、飽きが来ないのでしょうよ。




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