プール付きの家
9.プール付きの家
このロジックを科学的に裏付けて見たいと考えました:
例えば一例として、金のない「貧乏な男」が「プール付の家に住みたい」と思ったとします(私の家にプールはありません、念の為)。貧乏な男にとって、これは一種の野望。
考えて見れば、人生は一瞬一瞬が「選択の連続」、チョイスです。彼が「プールが欲しい」と本気に思い込むなら、朝刊は不動産の広告のページから先に読む習慣へ変化する、多分。プール用地として広くて割安な土地は無いかいなーーーと考えて(そんなの、直ぐにあるかいな、バカ!)、電車に乗れば窓からの景色も、(無意識に)そこへプールが作れるかどうかの基準で、眺めるようになります。
飲み会での愚痴も(無意識に)プールの話題が多くなる。頭金が足りなければ親戚に借りようかなーーーと虫の良い思案もする。奥さんにパートに出るように説得もする。貯金の為に、自発的にタバコもパチンコもやめるに違いない。分岐点に立つ毎に、何もかも全てのチョイスが → → 「プール・プール・プール建設」の方向を目指して勢ぞろいします。思いが強いからーーー。
絶えずそう構えているから、ひょっとすると、山奥の廃校となった小学校にプールがあって安く払い下げられる、なんての偶然の情報も飛び込んで来るかも知れない。他人が無視するそんな情報までも、耳に入ってチョイスの対象となる。
それくらいのプロセスが何年か、いや、何十年か継続すれば、彼の「思い」は終に実現するでしょうね。そう思いませんか? 月世界へ旅行しようかという突飛なものではない、たかが「プール付きの家一軒」の話なんだから。
大事なのは「思い続ける」事。




