有閑階級
++++文章が(もう少し)メリハリがあって分かりやすければ、「もっと」面白い本だのにーーー、と実に残念。こんな事を思わせる「小難しい本」だから、マニア以外の人には余りお勧めしない。
4.有閑階級
今日こそはこの本を捨てよう捨てようと何度か思いながら、私が「ついつい手放さずに」辛抱して読み続けるのは、「不思議な魅力」を感じるから。言い換えれば、自分は未知なる物語に(こんなにも)好奇心旺盛な人間だったのかーーー、という自己の再発見になっている。
ひょっとしたら、ダーウインが褒めたのも、案外(文章ではなく)こんな「(私と同じような)未知への探求心だったのかも知れない。好奇心の強さが、文章の拙さの評価を上回ったのだろう。
現代世界の探検家は、(仮に)小さなボートで大洋を横断するにしても無線機を積み、ヘリコプターでの救助を期待しているーーー。人工衛星で常時見守ってもらうのだから、これは探検や冒険ではなく「お遊び」に近い。
対してこの博物学者の百年以上前の昔は、(英国からアマゾン河までの蒸気船はあったとしても)河口から広大な河川を遡るのは手漕ぎか帆掛け船だし、車も無く伝染病に対する知識も乏しい時代背景を考えると、実に「凄い!」ものだと思う。
読み難い中にも面白く感じた部分が幾つかあるので、紹介したい:
著者は、言語も異なった複数の小部落に住む原住民や家族単体で暮らす原住民と接触している。時には一緒に暮らし、或いは収集活動の助手として使うなどしているが、彼らを観察してこん事を書いている:
「(原住民の)全部族共通の性向として、彼らは喜怒哀楽が非常にすくないーーー・鈍重で・好奇心も少なく・むしろ消極的・それが為に付き合う上で非常に面白くない相手だ」
そう言いながら著者ベイツは、こんな風に考察を加えている:
「棲む世界が限られた生活思考範囲な為に・その必要も無いからか交わす言葉の持ち合せの数も少ない・荒野の中で孤立して(酋長は居らず)ごく少人数ずつで暮らし・どうにか食って行けるだけの必要物資の獲得に日常生活の全てを費やし・文も語も無く・取得した知識を代々引き継いでゆく有閑階級もいないとなればーーー、そんな風になるのも当たり前か」
「有閑階級」とは面白い表現だ。彼はそんな階級の人達を(先祖伝来の知識を受け継ぐ)「値打ちのある存在」と考えているようだ。はて、それならその役目を果たす現代の有閑階級とは一体誰ぞな?
学究生活を暮らす学者先生達か文学者達か、それとも、定年退職した人々か? それらは一見「不活発で何も生まず作らず、ただじっとしているだけーーー」のように見えるが、どうやら案外かなり値打ちがあるようだ。
無論著者はそんな事を本の中に書いている訳ではないが、読みながらそんな風に考えると、愉快になる。




