試験無しが良いか
++++ウチだけ。他社が撤退したり縮小したのは、需要が無くなったからではなく、ひとえに「売り難い」為だけ。
6.試験無しが良いか
次のポイントは: 100万円の物を売るのは、1.2万円の物を売るのより一般に「難しい」。これは当たり前。単に営業マンの尻を叩くだけではダメで、100万円を売れるプロへ養成すべく「教育・訓練」をやらなくてはならない。それ以外にない。
社員を採用する時にも、「選別する」必要がある。なぜならウチの商品は「売れる」ものではなく「売れない」から、「売ってくれる」人でないといけない訳だ。仮に間違って採用されても「よう売らない」ならば、辛くなって自ら辞めてしまう。
逆に「よう売る」人は、嬉々として生涯の仕事として定年無しに楽しめる。囲碁や将棋のゲームと似ている。これらのゲームは強くなってこそ面白い。弱ければ少しも面白くないから、辞めた方が良い。
他方で、日頃1.2万円程度の安価な製品を売るA社は、真剣に社員を訓練しようとしないし、選別もやらない。製品が「(価格的に)売り易くて」誰にでも出来るから、そんな必要性が薄いからだ。ビラ配りみたいな仕事では、社員は成長しない。
成長も向上もしないのは会社の為にも、社員にとっても幸せではない。学校時代にはしょっちゅう試験・試験で鍛えられるのに、社会へ出たらどうして「試験無し」でよかろうか! やるべきだ。因みに、ウチでは週に一回全員必ずある。
長い年月で見ると、A社(=安い製品)・B社(=高い製品)の販売面での実力差は、歴然として大きくなる。会社の大小は関係がない。二~三名の会社の方が、時に一万人の会社より強い場合がある。だから世の中は面白いのだ。
社会に地殻変動が起きた場合、或いは扱っている製品が時代遅れになったり市場から消え去る運命になる場合がある。二十~三十年のスパンで見れば、大なり小なりこの市場変動は「必ず」起きる。保証しても良い位のもの。
例えば、「原発の建設が嫌われ、代わりに風車の建設が日本中で盛んになる」なんて、三十年前に一体誰が言い当てたか? 私が造船工学を学んでいた昔に、造船業が今ほど廃れると、一体誰が予測したか? ネットの今の興隆を見通していた人はいない。そんな試練にJALも潰れた・カネボウもダイエーも過去三十年以内に潰れた。同時期を、ちっぽけなウチは生き延びたーーー。いいや、利益を上げ「続けた」。