乞食のお粥
6.乞食のお粥
話が変わるが、政府の仕事は「新しい法律」(ルール)を作る事である。立法と言う。例えば 「友愛の政治を行う」は法律ではない。むしろ「文化」と呼ぶものだろう。目標と言ってもよい。
国の経営者・リーダーである首相は、先の「友愛のーーー」の目標を実現する為には消費税率をアップする法律を作る必要がある。税収が増加し介護資金へ回せる。また給料を上げる法律を制定する事によって、看護士のなり手が増える。こうして「友愛のーーー」という目標が立法によって現実に実現する。
このように立法が無ければ、目指す目標やスローガンが如何に立派でも、単なる掛け軸と同じで何の腹の足しにもならない。だから掲げる目標と立法・法律は、目的と手段みたいな関係にある。
上司が朝礼の訓示で「(鬼十則の第一則)仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」と言うのは、決して法律ではない。むしろ会社の文化に近いもので掛け軸になる。
これを例えば、「君の月間売上げが400万円を越えたら、超えた分の一割を報奨金として、通常の給与にプラスして余分に与えよう。それ以下なら399万円でも報奨金はゼロ」の社内規定を仮に定めるとすれば、これが立法であり新たな法律になる。
そんな法律を作れば「報奨金貰いたさ」に、社員は「放って置いても」自主的にもう一軒「余分に顧客を回って」注文取りにいそしみ、売上げを増やそうとする努力するだろう。 ほれ! 「仕事は自ら創るべきでーーー」・「仕事はーーー、受け身でやるものではない」の鬼十則の一則・二則が、自動的に「やすやすと」実現されるではないか。朝礼で訓示をしなくてよい。
このルール(法律)の立法が大切で、「鬼十則」を事務所の壁に掛け軸するより利き目がある。「鬼十則」を作った電通の元社長は確かに偉いが、不充分な処があるとすれば、掛け軸の範囲だけで「法律化」しなかった事だろう。具体的な政策に言い換えるだけの「踏み込み」が足りないように、(同じ経営者として)私は思う。
実はこの立法こそが経営者の本当の仕事なのだ。先の一国の首相と同じように。経営者だけでなく部長も課長も、鬼十則をただユウだけにするなら、それは乞食のお粥。経営者の唱える処ではない。
貴方は会社の経営者ではないかもしれない。だから、これは自分に無関係な話か、果たしてそうか? 私はそうは思わない。忘れてはなるまい、「自分の人生を経営している」貴方は、立派な経営者だ。海に落ちていて、泳がなければならない:
「人生は芸術」・「人生は自ら創り出すものーーー」(鬼の第一則)の目標を実現する為に、何をどう立法・法律化するか? これは、天下の電通を経営するより、もっと大事な貴方の経営の筈だ。薄っぺらではいけない、人生に「厚み」を付けよう(=第八則)ではないか。
完
比呂よし