ニンマリする
++++殺したいほど相手が「諸悪の根源」なのに、外のより「一番マシ」と判明。こうして、二人が共に未だに生きながらえているのは、「マシ」同志だから。
6.ニンマリする
若い夫婦間なら少々のトラブルは、夜になって抱き合い何処かいかがわしい事をやれば、うやむやの内に解決する。気持ち良くなると双方利ありで、利き目のある手段。が、歳を取ればこんなテクはもう通じず、仲直りの為に残された唯一の解決法は「言語」以外に無い。しかし、これが男の最も苦手とする分野で、頼りになるのは最新版の国語辞書だけ。
「やろうよ!」なんて言語はもっての外で、歳を経た夫婦の対話はもっとしんみりあって欲しい。例えば、こんな風に:
TVドラマを見ていたら、テキパキ仕事をこなす中年の女外科医が登場、米倉涼子。切れ者で颯爽と格好が良く、しかも美人。一緒にこれを観ながら、「六十七の女」が尋ねた(本人は高卒だが):
「もし頑張って大学まで進学して、その気があったら、私もあんな女医に成れたかしらーーー?」
突拍子もない話をする女だが、何かはにかんで訊く処は、六十七言えども可愛気がある。もし貴方が夫なら、これにどんな「言語」で応えるべきか? ベッドテクは、もはや通じませんぞな!
冗談で返したり、はぐらかすのは簡単。けれども、女の側も何気ない風を装ってはいても、内心多少とも「気にしながら」訊いている。女は常に自分の「値打ち」を確かめたい。「(こんな値打ち物の女と結婚出来て)お前は何て幸せな男か!」と、男へ自覚を促したい気持ちが根にある。
女に言わせば: 自分の一生は「二十の歳に和歌山日高村で小町と呼ばれていたのに、口車に乗って田舎から連れ出され、半世紀近くこんな顔の悪い男に囲われるはめとなり、自分と似てもつかぬ子を二人まで生ませられ、苦労ばっかり多かったーーー」なのである。
そんな果てにハッと気づいたら六十七となっていて、女医どころか、地団太踏んだが何もかも手遅れ。こんな悲惨な小町の女心を、先ず男は理解してやらないといけない。
それでも悲惨な苦労を経て、代償として「艱難辛苦汝を玉にす」の言葉がある通り、女は今や玉みたいに賢くなったのは確かだ。だから人生を達観したみたいに、なかなか達者な物の見方をする:
「(共通の知人を評して)ああだったから、やっぱりあの人の人生はダメになったんだわとか、こうだったからこの人は多少マシな生涯だったとかーーー、別の男と結婚していたら自分は今よりもっと苦労が少なくて済んだのは確実だわ」
事のついでに、こんな風に呟く事もある:
「私ってーーー、世の中の仕組みも、政治も、人の考える事も、無論貴方の考えている事も、今や何でも分るわ。料理は上手だし、頭が良くてよく気が付くし、私って万能の女だったのよ!」
ほぼ毎日これを聞かされると、「しとやか」とか、「清楚」が死語となるのも頷ける。女の放言をきっぱり否定出来るだけの根拠のない処が、こっちの弱い処。
普段からこういう機運が夫婦間に積極的に高まっているから、先ほどの「女医になれるかしら?」の何気なく見える質問に対して、うかとした「返事」を返せない。応え方一つで、どんな災害が発生するか知れないから、慎重に言葉を選んだ:
「うむーーー、君は一つの会社を立派に揺り動かしているんだ、ついでに夫も。君なら成れたろうな。それも、かなり腕の好い女医にね、間違いないよ!」
ニンマリして、女は機嫌が良くなった。こっちの返事はパーフェクトに成功。老後の男で、これくらいの言語が駆使出来ないようなら、何の為に長い人生を生きてきたのか分からないではないか!と諸氏に申し上げたい。




