◎第二十五話: 「上手な字」の話
第二十五話: 「上手な字」の話
1.掛け軸
ウチの和室の床の間には、何年も同じ掛け軸が架かっている。人から貰ったものだし、掛け軸はそれしか無いから。
「桃李花開一杯酒」(とうりはなひらく いっぱいのさけ)と、黒々と縦書きの墨跡である。左脇に小さく九十二翁XXXとある。名のある人が書いたものらしいが、幾ら眺めても上手には見えないから、何年架けていてもさっぱり感動しない。
ウチの社の四十になる女事務員は二人の子持であるが、体型はスマート。そのせいか、会社の定期健康診断で過去三年連続「栄養失調」と診断されて、金メダルもの。それでも、部分的に手だけへは栄養が行き渡るらしく、字が「大変上手」である。
私の秘書でもあるから、電話の伝言メモ書きも含めて毎日何かしら彼女の書いた文字を私は読む事になる。のびのびした好い字だ、と何時も感心する。時々見ほれて、目の飽きる事がない。そもそも彼女を採用したのが、応募の際の手書きの履歴書の字が美しかったからだ。
変な質問だが、一度「何故そんなに上手なのか」と訊いたことがある。「子供の頃にペン習字を練習しました」と応えた。それを聞いて、自分も若い時にペン習字をしておけば良かった、と思う。
私の字と来たら、それはもう目が眩むほどの下手さ加減である。社員へ何か手書きで渡す時、二割位の人が読めない。これは「何という字ですか?」と訊くから、こっちはムッと来て、「コイツは俺に嫌味を言っているのか?」、それとも「もしや、文盲か?」と怪しんだ。
けれども念の為に、数日置いて自分の書いたのを後で再読してみたら、何の事やら自分でもさっぱり読めなかったから、罪はこっちにあると知って、ひそかにうなだれた。
それでも、私の配偶者だけは例外で、私がどんな風に書きなぐっても、必ず正しく読んでくれる。不思議な特技だ。「何故読めるのか?」と訊いたことがある。
すると、「ヒーチャン(=恥ずかしながら、私の名)の書いたものなら、何でも全部分かる」と言われた時には、流石にドキリとした。男には大概人には言えない内緒事があるから、何でも「お見通し」と言われた気がして、股の間がこそばゆくなった。
経験的に、世の中には二種類の人がいると気づいた:私の悪筆が苦も無くすらすら読める人と、最初からけつまづいて全く読めない人。前者はとても頭がいい。実は全文を読んでいないらしいのだ、判別出来るたった一字か二字だけを見つけて後は状況から推測する。一方で、後者はセールスマンに向いていない。推測が苦手で一から十まで訊く。




