ばかしあい
++++印象が(くすりで)「作られたもの」だったとしても、今でも私は暖かい気持ちを持っている。彼は今頃どうしているか、と思う時がある。
7.ばかしあい
こう云うのが続くと、面接試験で私が出来るだけヘンなのをよりすぐって雇うように見えるらしい。そんなのを選ぶ社長の方が「もっとヘン」で、「類が友を呼ぶ」とはこの事だと、社員らは陰口をたたく。 私も流石に反省して、ひょっとすると自分がヘンなのかな、と思ってしまう。気になって配偶者にそれとなく訊くと:
「ヘンな人は自分がヘンだと気が付かないものよ。そこが問題。でも、貴方は自分がヘンだとちゃんと判っているから、ヘンじゃないわ」
この言い方は、ヘンだよなあーーー。
どうしてか、「ヘンな人」は名の通った一流大学卒の応募者に目立って多い。三流大卒には居ない。こう書くと三流を褒めているのかけなしているか分からないだろうが、深い分析は学者に任せよう。しかも理系の人が多く、特徴は「ガチガチにまじめ」。ガタが少なく「いい加減」な感じの人は一例も無い。
応募者が一流国立大学卒の履歴書なんかを持って来ると、それだけでウチは警戒態勢に入る。こんな人事課長の悩みを、世間の人は知るまいてーーー。
だから面接試験は、さながらキツネ(応募者)とタヌキ(会社)の「ばかしあい」みたいな処がある。そんな面接を繰り返しながら、つくづく人の心とは「大変複雑な仕組み」になっていると、思わざるを得ない。複雑過ぎて、人は時々自身を上手く操縦出来ないのだ。
「ばかしあい」と書いたけれども、私は(やや常軌を逸した)先の人たちが実は「好き」なのである。ウチへ経済的・時間的に多大なロスと迷惑を掛けたのは事実だけれども、彼らにはたった一つ共通した「とても素敵」な面があるからだ。
それは:
人として大切な事と思うが、ガラスみたいに透明な「純粋さ」だ。これは知識と違い学ぶ事が出来ない。「素直さ」とも言える。本人は自身の事で精神的に「きちきち手一杯」で、だからこそだが、人の事をあれこれ考えるゆとりは無いし、他人を十分に思いやる事が出来ない、という特徴がある。
言い換えれば、他人を騙したり陥れたり計算的な悪知恵は、有り様が無いのだ。そして優しい面もあり、生まれたての赤ん坊のように、邪悪さの無い真面目な美しさは、感動的でさえある。
先の実例で「五日目に名古屋の出張から戻って来たいい歳の男が、自宅の玄関先で奥さんの顔を見るや、ホッと緊張が緩んで「お母ちゃん!」と泣き崩れた」のを社員から聞いて、私は涙が流れた。彼は「純真な可愛い坊や」以外の何物でもない。奥さんの気持ちも含めて、誰にも理解され得ない二人の深い悲しみを、見る思いがする。
彼らの心中を推し量り、寄り添ってくれる人は少ない。そんな善良な人たちへ経営者として「解雇!」を言い渡す時、弱い者苛めをするような辛い気持ちを味わう。




