ぞっこん
10.ぞっこん
「バツイチ子持ち昆布」本人は未だ若いが、今の処再婚する気は無さそうだ。「臭い靴下」を片づける男は数少ないから、見つけるのは難しかろう。が、結婚についてこんな事を云った:「結婚は二人で暫く同棲してから、ゆっくり決めた方がいいわ。 予行演習よ」
「なるほどーーー、結婚前に二人の忍耐力を試すんだね」と皮肉ったら、女はアハハと笑った。こっちは冗談で返したが、悪くないアイデアと思う。「家でヤリなさい」も「予行演習の同棲」にしても、それを言う「バツイチ子持昆布」に気負った風がまるで見えない。時代の現実をあるがままに肯定し、合理的な解決手段を示している。
私は自分の不明を指摘された気がした。先進性を命のように追求して止まない企業経営者でありながら、結婚問題と経営の分野に違いはあっても、凝り固まった自分の頑迷と保守性を叱られた思いがした。女の革新性に、膝まづきたくなるほどだ。
セックスという言葉一つ取っても判る。結婚する(した)男女間の行為は「愛しあう」と、美しい言葉を使う。 対して、同じ行為をこんな風にも言う:「淫らな関係・淫行」とか、「不潔な・わいせつな」とか、「卑猥・いかがわしい・いやらしい」とかの汚ならしい言葉群である。
「愛」と「卑猥」は酷く矛盾している。同じ行為に対して、これほど大きな差別がある言葉は外にあるまい。これはセックスという一つの言葉が、人の思考を縛っている典型である。状況次第で使い分けて、同じ事を区別するのが文化だと言えるかも知れないが、文化は人に不自由を強制している。
現代の若者ならセックスに対して、先の 「淫らな関係」に類する「いやらしい」言葉群はピンと来ないだろうか? そんな場面に遭遇しても、こんな形容をしないに違いない。何故なら中・高生時代から、飽き飽きする程たっぷりヤリ慣れている行事に、今更「いやらしい」もへったくれもありはしない。林真理子(作家)が言うように、「現代は、不倫は一つ増えた楽しみであって、苦悩でも何でもありはしない」のかも知れない。
そういう感覚になれば、やがて成人して結婚適齢期なっても、「あの女の体の素晴らしさは何とも言えない」なんて、初心な言葉を吐く男は解消される。そんな単純な事で軽々しく結婚に踏み切る男は居なくなるだろう。女の側にしても、「あの男のベッドテクの憎々しさに、ぞっこん」なんて甘い感動をしなくなる。それはソレで、セックスだけの範囲内になる。
その代わりに、(既に異性に手慣れた者同士だから)生涯の伴侶を決めるに当たって、相手の精神的な成熟度や器の大きさ・思い遣り・互いの適/不適を一層冷静に評価出来る筈だと思うが、どうだろう? 互いが分り合ってから結婚した方が、幸せな結婚生活を長く維持出来そうに思う。離婚が減る。