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あとがき(2)

25.あとがき(2)


 男の配偶者は幸い、鴎外の女のように五十の歳には死ななかったが、似た年齢で似た運命に遭遇した。ひょっとしたら、同じ病かも知れない。今の医学があればこそ、難病であっても死なずに済んだろうが、鴎外の時代ならその時点で命は無かった。「女は何を求めていたのか?」と鴎外は自問しているようだが、回答の一つを、男の配偶者が知っていた気がしないでもない。


 男は自分の目標に向かって突き進むように生き、女は愛する男に「合わせて生き」ようとするみたいだ。清姫のように、蛇になってまで「恋の為に生きる」とも言える。けれども、どう控えめに見ても、恋に生きる事の出来る男は少ないのではないか。それを思うと、男と女の間には最初からすれ違った処がある。歳が入ってからも何度か女へ訊ねた事がある:「なぜ、僕と結婚したんだ?」 


 どう見ても風采の上がる男ではなかった。度の強い近眼のメガネをかけ、痩せた青瓢箪あおびょうたん。というよりも、当時社内結婚だったが、格好のいい男は外に幾らも居た。先の私の質問に対して、女は毎回答えをはぐらかしていた。


 しつこく問い詰めると、「誠実だった・真面目だった」とかのありきたりの答えしか返って来ない。「誠実や真面目」なら犬や猫でも出来るし、世間に掃いて捨てるほどある。そんな理由である筈は無かった。


 思うに、多分女自身にも分からなかったのだろう。人は自分の行動に、何時ももきちんとした理由がある訳ではない。むしろ理由の無い場合が多い。そう考えると、女の行動は「子宮がそう囁いた」からかーーー、と男は考えた。

 以前経営に困った時に相談すると、考える風でもなく女は即座に「B案の正解を指した」が、それが魔法のように見えた。鴎外の女も「子宮が教えた」のだろうか。ならば、子宮が「何を」教えたのかと、男は今でも時々考える。


 もし他の男たちと違った処があったとすれば、人生に明確な目的意識を持っていた事だろうか:「社長になりたい」であった。これは小学時代以来のトラウマのなせた結果のせいで、男が格別偉かった訳ではない。結婚前にこれを女に話した事は無かったし、むしろ隠していた位だ。だから、男の目標を女が事前に知っていた訳ではない。


 元々母性があるから、女は何処かで不器用な男に惹かれるのかもしれない。不器用(鴎外の場合には、怪異な風貌)であっても、大多数の根無し草よりも、それが何かはっきり判らなくても男が志を持っていると察知すれば、たとえ苦労させられても女は付いて行きたいと願うみたいだ。進化生物学風に言えば、女は「異質な遺伝子」を求めていて、そこへ人生を託すのかーーー。


 鴎外の話の中で、来客が「一番偉いのは先生じゃなくて、アノ奥さんですなあーーー」と言った。これを聞いた学者は、内心どう感じたろうか? 若い時分学者自身でさえ将来自分がどんな風になるか、どんな将来が待ち受けているか、それこそ五里霧中だったはずだ。


 私の場合も同じだった:「社長になれる」(=出世)保証はなかったし、実際途中で失業も経験し地べたまで落ちて、ブルーシートの人生で終わってもおかしくなかった。結果的に多大な心労と苦労を女へ強いた。やがて、設立した会社が順調に運び出したのを、取り引き先の社長が女を眺めて遠慮の無い口でこう言った:「この会社は、奥さんでもってるんだよなあーーー」 


 五十で死んだ学者の妻女を、鴎外はそこまで深く分析して話を書いてはいない。 それで鴎外の代わりに、男はこんな風に考えた:

 大概の女は「愛され・守られ・慈しまれる」のを期待して男へ嫁ぐ。苦労しようと思っているのではない。庇護される受け身な立場である。


 翻って、森鴎外の話の妻女も、男の配偶者も共通したものを持っていた。二人とも「大切にされ・愛される」受け身な対象として生きたかったのではなかったのだ。それと正反対で、「相手を愛し・喜ばせる」為に生きたかったのだろう。


 男の女の場合、「相手を愛し・喜ばせる」対象は第一に夫であったし、子供でもあった。ひょっとしたら、会社も愛の対象に含まれていたかも知れない。だから、「ヒーチャンを社長にさせ・一番にして上げたかったのよ!」と言っていたし、(病になってからは)「もう何もして上げられない、自分はもうヒーチャンの役に立たない、だから離婚する」と、言ったのかーーー? 


 鴎外の女が五十で死んだのは、一種悲劇のように見える。けれども、悲劇ではなく妻女は世で成功した学者を眺めて、内心こう言った筈だ:「ねえ、ご覧よ。これが私の作品よ!」 死に臨んで女は幸せであったに違いない。なぜなら、自分の思うように男を愛し作品を作り上げて、生きたから。


 客船飛鳥2のキャビンで、蝶ネクタイの男を立たせたときに、女が見せた表情は:「この男を作ったのは私で、恋と愛の目的を果たした!」 

 思い残す事は無かった。「ヒーチャン、さようなら」と満足感の中で女は死んで行ったーーー、と男はそんな気がした。


比呂よし

2018.3.16改訂


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