痩せた
20.痩せた
病人の心理は複雑である。病の初期の時「甘えたらよい」と慰めたら、「そんな事をしたら、自分が壊れて無くなってしまう」と女が悲しんだのを思い出した。「それと同じ」なのかもしれない。
男を憎みながらも、会社を売ってしまった男が夢を失い「壊れてしまう」のを、密かに女は恐れたのではなかったか? 「男=会社の経営」・「夢に邁進する男」というのを、女は知っていた。会社を失うと、男が本来の男でなくなってしまう。「壊れた男」など、もはや自分が好きだったヒーチャンではないし、女には「見たくもない」。
「夢の無い男」なら元々結婚さえしなかったーーー、と考えたかもしれない。自分をべたべた可愛がってくれる男よりも、女が助けてやり共通の夢を託せる男を求めてたのではなかったかーーー。この女は自分へ何かを「与えられる」より、男へ「与えたい」のだ。会社を失うのは男を殺す、言い換えれば女自身が死ぬのと同じだ。
これは男を憎む気持ちと矛盾しているが、病気になる前までの女の男への献身的な愛や助力を考えると、女は今や痛みに苦しみながらも、自身の生きる理由を「貫き通そう」としているのではないかーーー、という気がした。女にとって、これが「自分が壊れない」為の唯一の方法なのかも知れない。
女の本質は変わっておらず、昔の通りに「ちゃんと生きている」と、男はそういう気がした。けれども、女に内在するそんな複雑な矛盾に、男は気付かない振りを通す事にした。その代わりに、一層会社を発展させようと考え直すことにした、それが外でもなく女の為になるーーーと思った。
けれども男は女を助けようとした。どちらかと言えば、判らないように(会社より)女へ一層の重きを置いた。とは言え、女を助ける為に、男が出来る事には限界がある。
女の負担を少しでも軽くする為に、毎日の買い物をし、夕食は男が作るようになった。けれども料理の上手だった女に何度教わっても、思い通りの味が出せない。ほうれん草は毎回ゆで過ぎてクチャとなり、他方で高価な食材をダメにしてしまい、「そんなものは、食べない」と女は箸さえ付けようとしなかった。料理の手順をなかなか覚えられない。体の痛みで女は何時もいらいらして怒りっぽく、感情を昂ぶらせてドジな男へ当った。
女は血の混じった下痢を頻繁に起こしたから、お腹への負担を考えて夕食をお粥だけにする事もよくあったが、これは男には作り間違いが起きない楽な料理である。それに、鰹節をまぶすだけとか、時には磯の魚を柔らかく煮たものを付け合わせた。女とまるで同じものを食べたから、男も一緒に痩せた。




