第五百八十五:泰子さんの話(482) ★夏の暑い日(11)
第五百八十五:泰子さんの話(482) ★夏の暑い日(11)
仕方なく、暑さを避ける為に山を降り、降りた続きを暫く一緒に歩いてやがて別れた。女の希望で、女が泊まっていた親戚の家までは送らなかった。
私は自宅の部屋に戻り、美しくもない天井を一人見上げた。自分の稚拙は覆うべくも無く、ただならぬほどの疲れと激しい自己嫌悪を覚えた。
一分一分が貴重な時間だった筈なのに、自分がどうしてあんなポキポキと不器用な初対面をしたかと、今でも不思議だ。お小遣いが無く女の扱いが分らなかったとしても、もっと温かみのある接し方が出来た筈だった。それが遠方から訪ねて来た人に対して当然の思いやりで、今になっても忸怩たる思いが消えない。もう一度スタートから是非「やり直し」をしたい。
当時は、相手の心情を思いやるだけの心のゆとりが無かった、としか思えない。未熟で恋をする資格が備わってなかったと言える。人を愛したりもてなしたりするのは、恐らく誰でも自然勝手に出来るものではなく、経験し学んで練習してこそ出来るものなのか、と今にして思う。
真贋を試されるような初デートで何処から観てもパッとしない男だったが、何を気に入ってくれたか、私の不器用さを女は許してくれたようだった。多分、女は内心私へガッカリしながらも、女自身も男との不慣れな付き合いで現実を学んだのだろう: 「どうやら男とはこういう生き物らしい・世の中に王子様は居ない」と。そう自分を無理に納得させた。案外これが当たりだろう。
互いに遠隔地で手紙の交換ばかりだったが、清らかな関係はその後数年に渡って私が大学を卒業して1~2年まで続いた。この期間中に互いが逢ったのは、先の初デートと私が社会人となって直ぐに新幹線で東京へ行って、ハトバスで丸一日都内を一緒に観光した時の、たった2度きりであった。手をつないだことさえ無かった。
その間、女が私を心から好きだったかどうかと言えば、疑わしい。女が単に私側の熱意に引きずられただけの一方的なもので、私一人の恋愛ごっこだったかも知れない。女の気持ちを最後まで伺い知ることが出来なかった。けれども女同士には分かるのだろうか、私の母親はただの一度しか会ってないのに「あの人は、お前を好きだったーー」と断言するように言った。
つづく




