太鼓判を押す
3. 太鼓判を押す
ウチの中途採用への応募者の中には、面接時に前職の会社の上役を悪く言う人が時々いる。大切に扱って貰えなかったのだろうが、大抵問題は上役よりも、その人自身にあるのに気付く。弱い者ほど相手を許すことができないもので、許すというは自分の強さと有能を示す証なのだがーーー。
自分も上役の立場になって振りかえってみると、かって上場企業T社を私が辞めたのも、「多分ではなく」百パーセント私の側に不充分な面があったように思う。謙遜で言うのではない。
上役だって神様ではなくただの人間だから、その辺りは温かく見てやらねばならない。当時の私の上役が格段に優れていたとは今も思わないが、だからと云って決して愚劣であった訳ではなかった。
むしろ平均から言えば、それ以上であったろう。赤信号じゃあるまいし、真っ赤になるくらい赤ペンで添削しやがってーーー、と当時はむかっ腹を立てたものだ。が、そのお陰で今の私の英作文が曲りなりにも一人前に通用するようになったのは、上役のお蔭。今では、外人が書いたものだと外人が間違える位に上手になって、海外とのビジネスに生きている。有難い事だ。
そのように反省文を書いて自分の非を認めた上で:
「さて、仮にアノまま先の会社を辞めずに辛抱強く頑張って居たら、私は果たしてそこで出世出来たろうか?」 問題はここだ。そんな問い掛けをすると、私の配偶者は直ちにこんな太鼓判を押してくれる:「否! 有り得ない!」
T社内での安易な職場結婚だったから、この女は事情通で私の当時の二十数人の同期入社の人達を良く覚えていて、男の値打を比較する上で検討の材料に困らない。この辺りが私の一番の弱味で、比較に基づいた彼女の太鼓判にはずしりとした重みがある。
それなら条件を緩めて、T社内の違う上役にたまたま仕えていたなら、出世出来たろうか? いや、もっと範囲を広げて、別の会社の上役の下ならどうか? 定年の歳を過ぎた今になって、今更あれこれ想像しても仕方が無い様なものだが、生まれ変わった時にまごつかない為に、一応考えてみたのである。




