第五百五十三:泰子さんの話(450) ★ボランテイアの話(3)
第五百五十三:泰子さんの話(450) ★ボランテイアの話(3)
同じ人間でも長く生きておれば、化学変化を起こして心境の変化が起きるものだ: 一応食うに困らない生活になりそこそこの収入で満たされた時、それまでの「損・得」の生き方に淋しさを感じるようになった。時には少々損をしたって構わないじゃないか、「人生ヒマ潰し」という観念にも達した。
泰子さんへ見返り無しに奉仕している時間も、会社で金儲けの企みをあれこれ考えている時間も、「人生ヒマ潰し」の観点に立つなら、何れの時間が「損か得か」と区別するのは意味がない。何のために人は生きるか、の原点を問うようなものだ。
けれども、これは飽くまで私個人の生き方で、若い人がより良い生活と高い収入を求めて損得を計算し欲を出して走り回る事を否定している訳ではない。むしろ覇気のある生き方だ。生き方は世代によって違ってよい。
定年退職後の老後の生き方について、趣味道楽に生きるのが「生き方上手」とはよく言われる。隠居の美学である。私の身近にいる同年には、趣味として絵を描くのが好きなIさん・声楽が好きなHさん・絵手紙作りが好きなM君などが居る。盆栽作りの好きな人も居るかもしれない。絵がプロ級の腕の先のIさんなど「人生で今が一番楽しい」と言うから、とても結構な事だ。
相手が居なくても、一人で出来る趣味が究極的に良いそうだ。その点、相手の要るテニスや囲碁・将棋は少しランクが落ちるらしいが、禁止される程ではない。
長生きの達人である泰子さんを眺めていて、彼女に別段格別な趣味がある訳ではない。断言出来るが、まるで無趣味だ。「たいくつだあ」と毎日言いながら、無趣味こそ長生きの秘訣と見える。強いて言えば気違いじみた阪神ファンでTV中継に噛り付く事と、食べ物ではメロンと温泉卵大好きという位だ。けれどもこれらが本当の趣味と言えるかどうか。
つづく
 




