第五百四十八:泰子さんの話(445) ★打ちこわしの話
第五百四十八:泰子さんの話(445) ★打ちこわしの話
既に87で死んだ父は、(先に紹介したが)65歳から73歳頃まで日誌を付けたり昔の思い出話を手帳に書き記していた。けれども、74歳頃から以後気が変わったのか、書くのを止めてしまっている。大した理由があった訳ではなさそうなので、推測するに、ネタ切れになったか。日誌も毎日同じことの繰り返しだから、書くのに飽きたろうか。
一方でやや不審に感じるのは、徴兵はされなかったものの30前後に父は戦争時代を体験している。誰にとっても大変な時代だったから、手帳に当時の様子に触れた記述が無いのは不思議に思う。暗い時代だったから、思い出したくなかったのかも知れない。
私自身の書くエッセイは駄文とはいえ、父が書き遺したのよりも分量が多い。文の多寡で父と張り合う積りはないが、歩いた人生の違いかと思う。父の仕事は当初は水力発電所に勤務し、その後国家公務員へ転じ防衛庁の職員として長く米軍関係の基地対策で責任のある仕事に就いていた。様々な職務を担ったが、それでも同じ防衛庁という守られたパイの中での嵐だったから、個人的生活で山あり谷ありの劇的な変化があったようではない。
対して何時か書いたが、振り返って私の人生は平均的な人の「五倍の長さ」を生きて来た実感がある: 学校を出て大手の工業用チエーンの会社に就職し輸出関係を担当したまでは、良かった。が、7年程で辞めた。大学を出て入社した大企業を辞める人は当時滅多に居なかったから、周囲は呆れ、これ一つでさえ天然記念物だったろうか。
以後銃砲製造(=FNブローニング社)の業界に移り、ついで喫茶店の経営(=これは失敗)や長期の失業者やセールスマンもやった。同じセールスマンも超最下位のルンペンからトップの王様まで経験した。ジェットコースターみたいに山あり谷ありで、私のような変化の人生は少ないと思う。
つづく




