第五百四十四:泰子さんの話(441) ★介護施設と行ったり来たり(4)
第五百四十四:泰子さんの話(441) ★介護施設と行ったり来たり(4)
泰子さんの場合は、入居金は高額になるが、本人よりも私が施設Dを強く勧めた。部屋の広さも泰子さんが実地に見て希望したのより、これもやはり少々プラスアルファで高額になるが、一段広い部屋を勧めてそれにした。
恐らく泰子さんは、死後に幾らかでも残れば遺産を私に残すのだろう。公正証書で遺言状も書いて私に持たせてある。その意味では残される遺産の多寡は、確かに私の損得にはなる。泰子さんは、岡山の名家に生まれ育ったお嬢さんだ。もうそんな気持ちは蒸発してしまったが、かっては私が小学生だった頃、ほのかに好きだったお人でもある。残り遺産の多寡よりも、私は泰子さんの尊厳を守りたいと思った。
話が変わるが、最近中学校三年のクラス会(=学年全体の同窓会ではない)を神戸の中心街で持った。お昼に和食だったが、10名が集まった。女性4名と男性が6名。中三当時のクラスは約50数名だったから、全員83の歳になっての約2割の参加率はよく「頑張っている」。大なり小なりの老齢による持病はあるようだったが、兎に角出席できる程度にはそれぞれ元気であった。男性たち6名全員に配偶者は健在だが、女性たち4名は全員既に夫を亡くしていた。
泰子さんの事も念頭にあったから、「俺たちいい歳になったけれど、今後の終活はどうするんだいーーー、施設にはいるのかい? 誰か家族が面倒を看てくれる人が居るか」と、何気に聞いてみた。問いは意図したものではなかったが、痛い処を突いたようだった。
そんな事は訊いてくれるなという風に、ことごとくが口を濁した。濁ったのを濾過して解釈すれば: 「先の事はなるようになる、ケセラ・セラ」という訳らしい。
つづく




