第五百四十三:泰子さんの話(440) ★介護施設と行ったり来たり(3)
第五百四十三:泰子さんの話(440) ★介護施設と行ったり来たり(3)
「食材の買い出しが面倒だ!」と言って、一貫して泰子さんは自室では何も作らない方針だが、最近では時々お昼にお好み焼きを焼いているようだ。トッピングとしてメロンを加えている。食堂で何もかも当てがいぶの食事は、案外と飽きるかららしい。
因みに、施設Dの現時点の入居者の平均年齢は87で、また希望すればお葬式もやってくれるから文字通り終いの住み家である。序に言うと、全部で180世帯(=大部分が独り住まいと思う)が入居していて、泰子さんの報告では、今年1月から7月までの間に10名が亡くなった。この調子で行くと10年後には施設がカラッポになるが、こんな適切な死亡率という運にも支えられて、施設の運営は能率が良さそうだ。
そんな月々の費用だが、幸い泰子さんは二年前に亡くなった夫の年金の半分とその他の割増金を貰えているので、この額が丁度先の月々20万円程度になるから、殆ど収支トントン。理屈から言えば無限に長生きしても良い訳で、無論欲張りな泰子さんはそれを狙っている:「ヒロシより必ず長生きしてみせる!」
私が保有するマンション(=無論家賃はタダだった)から高額なD施設へ転籍して半年だが、泰子さんの新しい生活環境を眺めていて考えさせられる事は多い。読者の中には、自身が歳とっている人もいるだろうし、或いは自身は若くても歳の入った身内を抱える人もいるだろう。そんな人の為に参考になる点を記しておきたい:
実は先の高級な老人施設Dへ泰子さんが入居する前に、私は一人で何件かの施設を周遊して調べていた。遠くない将来自分も入居するからという気持ちもあって、それなりに調査は真剣だった。費用が安い処も中くらいな処もあったし、病院が直接経営している処もあり、入居金がゼロな処もあって、様々だった。なお、入居金ゼロは案外と多い。
施設の選定は、スーパーでキュウリをあれこれ選んで買うのとは違う。頭に置くべきは「割安とか、超お買い得」とかは無いものだ、と思った方がよい。(手持ちのお金が無いなら仕方ないが)そんな基準で選んではいけない。安い処は安いなりだし、高い処はそれだけのサービスの質の高さがある。例えば、空気がうまい・環境抜群という謳い文句は、交通は超不便なド田舎の裏返しでもある。
もう一つ大切なのはロビーへ初めて足を踏み入れた時、雰囲気から一瞬にして分る事が多い:「ああ、ここは自分が居るべき場所ではないなーーー」と。入居者の「民度」である。友を選ぶときに不釣り合いな人には近づかず自分に釣り合った人を選ぶのと同じだ。階層が似たレベルの人を選ぶと思う。
若い時にマイホームを建てた時を思い出し給え:環境・住民の民度・子育ての環境・公園の有無などを考慮して慎重に決めた思う。それだのに、歳入って自分が入居する施設だのに、なんの造作も無くゴタ混ぜで構わない「割り得だから」とはならない筈だ。この点を、案外見落としがちだから指摘している。
どの施設も大概個室が基本である。なので、マンションの住み替えみたいに思うかもしれないが、マンションとは違う。マンションならドアを閉めて嫌な人と付き合わなくてもよい。が、施設では食堂は三度三度同じだし、(仮に友達にならなくても)レクレーションも一緒という事で顔を合わせる機会は多い。
施設内でお風呂へ入ったり同好会に入るとしても影響するが、価値観が自分の生きて来た人生の階層と近い施設を選ぶのを勧めたい。単に入居費の高い安いの経済だけで選ぶのは、残りの人生の質を惨めに過ごすかどうかを左右する事になるかも知れない。人生で大切な選択の局面だ。
息子や娘など身内に選定を任すなら、反って良くない事もあり得る: 景色が良くて病院が近くて「価格的に割り得」(=実はそんな処は無いのだが)を基準に、プラスマイナスで選び勝ちで、人の尊厳を見つめた視点が失われ勝ちだ。
更には、入居金の高い処を選ぶなら、死後の遺産が目減りするからと考えて、親族達が自己本位な選択になり勝ちなのは、心情として当たり前かも知れない。いつか来る自分達の老後の事も考えるからだ。
自分に相応しい「価値観」に合った処となると、自身で選ぶ以外にない。自分の尊厳は自分で選んで買うものだ。無論お金が無ければそんな贅沢は言えないのだけれどもーーー。
以上参考までに書いた。
つづく




