第五百三十一:泰子さんの話(428) ★墨東綺譚の話(2)
第五百三十一:泰子さんの話(428) ★墨東綺譚の話(2)
実を言えば、私は「墨東綺譚」を過去に読んだことは無かった。が、父の「心にしみた」世界を理解し一緒に浸ってみたいと考えて、早速買い求めた。有名な作品だから読んだ人は多いと思うが、読んでない読者もいると思うから、作品の概要を先に述べる:
先ず作家の永井荷風は、明治12年に生まれ昭和34年没(=享年80歳)で、裕福な家に生まれ育った。世に言う金持ちのぼんぼん。好きになった芸者と所帯を持った事があったようだが上手く行かず、結局生涯を独身で生きた。先の作品は作家の日々の(高等遊民みたいな)私生活を書きつづったようで、実体験の風である。
旧東京市向島区寺島町(現:東京都墨田区東向島・だから墨東)に存在した「私娼窟・玉の井」を舞台に、小説家の大江(=これが主人公だが、荷風自身と思われる)と娼婦お雪との出会いと別れを、季節の移り変わりとともに美しくも哀れ深く描いている。大江は60に近い老作家でお雪は26歳。二人のごく淡い恋愛で、関係は熱烈と言うよりむしろ「嫌いではない」程度の淡白なものであった。
結論から言えば、読んでみて私は正直それほどの感銘は受けなかったし、「しみじみ」ともしなかった。もっと正直を言うと:先に淡白な恋愛と書いたが、むしろ私には主人公の欺瞞と狡さを感じた。恋愛とは双方が燃え上がらないと成り立たないもので、そこには偽りのない真心がある。淡白な恋愛というのはそもそも無い。この小説では主人公の大江の腰が初めから引けており、いわば男らしくないのだ。
荷風が描いたそんな世界に浸ってみたいとは思わなかったし、小説だとしても生き方が退廃的で誠実が無い。文章は確かに名文だが好きにはなれず、つまりは父の受け取り方と私は全く正反対だった。
つづく




