第五百三十:泰子さんの話(427) ★墨東綺譚の話
第五百三十:泰子さんの話(427) ★墨東綺譚の話
「恐らくはただ一人なる読者として父の遺せし日記読むなり」(吉村一)を、今も私は継続している。以下は、昭和53年7月に父(当時67)が手帳に書き遺した記述である。父は定年退職後に第二の職場として大阪豊中市にある公益法人「航空公害防止協会」へ、須磨駅から阪急電車で通勤していた。一時間半ほど掛かっていたようで、当時の話である。
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(第二の職場へ通う)通勤電車の中で読むために文庫本を、時々思い出したようにして買う。電車の中であれこれ読むが、期待外れなのが多い。くだらないと思う。読者のご機嫌取りの小説ばかりで、興味を持てるものが少ない。そんな中でこの間から永井荷風の「墨東綺譚」を読んだ。
たまたま購入したものだったが、初めてしみじみと心にしみるように感じた。これこそ真の小説と思い、久しぶりに優れた文学に接した思いがした。自分の年齢が故か、それとも性格かどうかは分からない。もしこの本を40代か50代に読んでも、同じように感じたかだろうかと思ったりする。
終わり
息子のコメント:
先の通り、手帳に記した父の記述は大変短い。たった十行程度の文章だ。「墨東綺譚」を優れた文学と書いているが、どの辺りに感じ入ったか、何故優れているのか書かれていない。「(読んで)しみじみと心にしみる」と記述しているから、私は気になった。
つづく




