第五百十五:泰子さんの話(412) ★負け惜しみの話(7)
第五百十五:泰子さんの話(412) ★負け惜しみの話(7)
普段から寄り添ってやらなかった次男の死は、身にこたえた。私の昇任を彼が両手を広げて命を懸けて「阻止した」ような気がしたのである。自分は仕事優先で熱心で人より仕事が出来た人間だった。子供の死は家族を顧みなかった私への強い抗議のように思えた。だから昇任を自ら断った事に後悔は無いし、無念とも思わない。むしろ命を絶った「次男への償い」とさえ感じる心境だったからだ。
表題は「負け惜しみ」と付けたけれども、本当は何も悔しくはない。ただ、自分が蒔いた種なだけに、締めくくりを自分で刈り取らなければならなかっただけだ。誰にも言う事は出来ず、ただ人生は淋しいものと感じている。
終わり
★息子(=長男)のコメント:
人は完全ではない。父を含めておよそ人というのは、振り返って内心忸怩たる思いの無い人は居ないと思う。子供の自殺に対して、親と言えども「どうしようもない」処があると思う。親が関与したから・しなかったから、子が上手に育つ育たないとはならない。生き残った者は自分を責めて悔いるが、むしろ子供本人の資質の影響が一番大きなファクターと思う。
死者に鞭打つようだが、自殺をした子はその意味で、親を不孝な目に合わせる罪を犯した最大の親不孝者だ。生前の「心淋しかった」父の気持ちへ、むしろ私は慰めたい気持ちがある。
お仕舞い
 




