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第五百十:泰子さんの話(407) ★負け惜しみの話(2)

第五百十:泰子さんの話(407) ★負け惜しみの話(2)


 昨年、最後の勤務先だった大阪防衛施設局から一冊の資料を受け取った。その職場を定年退職してもう10年近く経っていた。何かの節目に編集したらしく、大阪局が開設されて以来の幹部職員の移動記録だった。

 繰ってみると、課長だった私も記載されていた。私の一番最初の役職は「特別調達庁神戸監督事務所の役務課長」と記録されていた。役務課長という名称は何か変だが、これを眺めて思いだした:当時兵庫県内の終戦処理をやっていた。


 それから間もなく大阪(防衛庁大阪局)へ転勤したのが昭和27年(=父41、息子の私は小学校4年生)で、その翌年28年に労務課長になった。以来、昭和46年(=父60)に退官するまでの間に「補償課長・対策課長・特別補償課長・企画課長」などを歴任した。


 振り返って思うのは何れの課も、着任時にはそれぞれ緊急に解決すべき切羽詰まった問題を抱えている部署ばかりだった。偶然そうなったのか意図されてそうなったか、本当の処は分らない。けれども何となく、難しい問題を解決させる為に「あの男ならーーー」と選んで私を移籍させたみたいな気がする。


 昭和32年頃の佐藤内閣時代、米軍基地の日本からの撤去が続いた。この頃が最も多忙で課員は40名を超えていたが、一つでそんな大きな課は当時の一般的な役所では余り例は無かったと思う。今だから懐かしい感傷に浸るが、当時は目が回るように忙しかった。追われるように同時に挑戦するような気持ちで仕事に取り組んでいた。


つづく


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