第五百八:泰子さんの話(405) ★本箱の話(5)
第五百八:泰子さんの話(405) ★本箱の話(5)
本を買うのは少しばかり特殊な行為だ。スーパーでスイカを買ったり、専門店で家具を買ったり、自動車を購入するのとは違う。違いの証拠に本には図書館がアチコチにあるが、自動車の博物館となるとそうは行かない。本は知識と知性の集積であり、小説などでも人に感動を与える存在として一種「神聖視された」存在だ。スイカを盗む事もあるサルには真似が出来ない世界。
そんな事もあって神聖なものを読了後「投げ捨てる」行為は、不道徳に見えて少しばかり罪悪感を持ち勝ちだ。だからこそ、先に書いた通り人は床が抜ける程本を貯め込み勝ちで、捨てるのに心の抵抗を感じる。けれども、一歩引いて(自分にとって)「本を保管する真の意味」をよく考えてみれば、これは偏見と人の保守性に過ぎないと判る。
本を捨てる行為は不道徳どころか、少なくとも私にとっては大変有益な「やるべき所業」と考えている。本が神聖な世界だとしても、時々は常識を疑ってみるのが必要で、それが時に人を賢くしてくれる気がする。本が好きで本読み人でありながら、私には本箱も本棚も要らないのである。そして話はこれでお仕舞である。
因みに最後に、少し読者をニヤリとさせたいことがある。ニヤリとすれば私の勝ちである; 本稿は一つの小さな超ミニ論文と言える。少しは読者に役立つ部分があるかも知れない。
本稿を初めから一読して要約するとすればーーー、「本箱も本棚も要らないのである」と、私なら半行でメモに残す事だろうと思う。その他の文章は「すべて!」ことごとく、つまり99.9%はこの結論に至るイントロであった。全量を本棚に保管する程ではないと指摘したい。
お仕舞い




