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弘法大師の日々是決戦

10.弘法大師の日々是決戦


 機械を販売するビジネスは熾烈な競争の世界で、同業者が多く、毎日が一種の戦争である。注文を多く取る為に、女は男を鼓舞する必要を感じた。販売戦争だから、手っ取り早く「日々是決戦」という五文字の勇ましいスローガンを、事務所内に掲げる事にした。男は、決戦の言葉で追い詰めると頑張るたちだからだ。女は書家に縦書きで大書して貰う事にした。


 欲張りな書家は弘法大師の直弟子と自称して、相場は一字三千円だとうそぶいた。が、同時に取引銀行の社員でもあった。「将来は、お宅から高利の金を億単位で、たんと借りて上げるから」と女が出まかせを言うと、紙代の五百円以外は書き賃を特別にタダにしてくれた。


 何かにつけ交渉事が上手な女を眺めて、その昔実家の神棚で神を説得していた姿を、男は思い出した: あれは「いっぺんこっきり」じゃなかったんだなーーー。


 墨跡も黒々と「日々是決戦」の弘法大師のスローガンを事務所内に吊るしたから、嫌が上にも朝晩目に入る。それを眺めて、「エイ、エイ、オッー!」と二人で気合を入れたら、隣の漬物屋のお婆さんが羨ましがった:

「仲がイイねえ。若いもんは、やっぱり私らとは違うーーー」


 男は、「日々是決戦+エイエイ」をおまじないのように唱えて、中古のライトバンで営業に走りまわり、競合になった他社から注文を奪い取り大抵勝利した。そうなると、物事は上手く回り出すもの。女は男以上に働いて、半年後から儲かり出した。


 高額な機械だから、売れたら儲けも大きい。男は商売の旨味を学んだ:同じ売るなら、安物より高いものを売ろう! コツは「エイ、エイ、オッー!」。

 儲けた金で若い営業マンを一人雇い入れたら、漬物屋のお婆さんが感心した:

「たんと儲けたんだねえーーー」


 地方にも拠点を出して、社員も増え販路は全国に広がり始め、やがて事務所が手狭になった。男は女へ相談を持ち掛けた:

「会社が何時までも泥棒市場では風が悪い、贅沢は言わないが、小綺麗なマンションの一室へでも引っ越したい」


 弘法大師の弟子が居る取引銀行へ再度出かけ、女が物件を紹介してもらって来た。多角経営で儲かると見たら不動産の紹介もやる便利な銀行である。

「ケチなマンションの一室なんか借りるより、いっそビルを丸ごと買ったらどう?」と、女は銀行からの情報を男へ紹介した。広い駐車場付きの二階建ての如何にも頑丈な中古ビルである。敷地百六十坪だから、それまでの五坪の事務所に比べたら、体育館みたいに広い。


 中古とは言えビルの外観が美しく、屋上には赤いレンガ作りの立派な煙突さえある。池の直ぐ傍にそそり立っているから、たたずまいがさながら湖上に浮かぶ古城である。風情が、ありきたりではない。


 一億円だが、相場より安いのだと業者が念入りに強調した。弘法大師の墨蹟の時のように、交渉しても代金が「ただ」にはならなかったが、女が値切り倒して六千万円になった。「この女に掛かったら定価など有って無いようなものだ」と、不動産屋がボヤいた。


 それでも会社の資本金の六倍だから、万事控えめな男が腰を抜かし掛けたら:

「そんな程度のビル一つが買えないと言うならーーー将来性が無い、会社なんて元々始めるべきじゃなかったわ」と、女がけしかけた。

 実にもっともな理由だと男は考え、自分のメンツを重要視して買う決心をしたから、まんまと女の罠に引っ掛かった。


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