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第四百九十七:泰子さんの話(394) ★父の日記から(その7)神津トンネル(12)
第四百九十七:泰子さんの話(394) ★父の日記から(その7)神津トンネル(12)
仮に無能な上司だったとしても、自分の部下の出世に待ったを掛ける位の事は出来た。見栄えのしない闘争だったが、せめてもの復讐である。定年まで、大阪局内で父は課長職以上へは決して出世しなかった。
滑走路事件が命取りとなり、才子が自分の才に負けた。サラリーマンは決して「(特に、上役を越えて)出過ぎてはいけなかった」。手柄はそれが大きければ大きい程、何時も上役に譲らないといけない。父は後で気づいたが、遅かった。公務員だから降格にも首にもならなかったが、生涯冷や飯を食い代わりに課長の椅子を温め続けた。
(トンネルは「栄光ある業績」だったから)本人は「書きたかった」から、手帳へ記述を始めた。けれども、最後までよう書けなかった。悲劇の主人公になりたくなかった。
お仕舞い
 




