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第四百九十四:泰子さんの話(391) ★父の日記から(その7)神津トンネル(9)
第四百九十四:泰子さんの話(391) ★父の日記から(その7)神津トンネル(9)
④にも拘らず、現実には滑走路直下に神津トンネルが完工したのである。本省にも骨の有る人間がたまに居て再考したのだろう。再考過程で「迂回道路案」が現実的でなく時間が掛かり過ぎるのを正しく理解した事を意味する。米軍と再度折衝し、けつまづきながらもトンネル案を呑ませたのだ。
米軍がトンネル案を嫌々でも呑んだのは、時代の変化がそうさせたのだろう:伊丹空港の滑走路延長プロジェクトが発案された昭和30年頃は、もう既に米軍に占領された直後の時代ではなかった。戦後10年以上が過ぎて米軍の神通力はもはや全能ではなくなっていたのに、米軍の将校たちはこれに気付かなかったのかも知れない。
当初日本側が示したトンネル案を否決したものの、時代がもうこれを許さなかった。日本各地に安保のデモが起きていた情勢からみても分る。二度目の折衝で、トンネル案は結局受け入れられて実現したのであった。
つづく




