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第四百九十二:泰子さんの話(389) ★父の日記から(その7)神津トンネル(7)

第四百九十二:泰子さんの話(389) ★父の日記から(その7)神津トンネル(7)


 父が「敢えて」続きを記述しかなかったのは、「記述しない」事が一つの明確な回答になっていると言える。重要な理由わけがあった筈で、しかも他人に言えない事だった。息子として結果を先に言ってしまえば、この問題が以後の父の人生を「台無しにしてしまった」からだと、推測している。ほぼ間違いあるまい。だから、本人は続きを決して書きたくなかったし、自慢もしなかった。


 順を追って話をする:  

①まず先に、亡き父を褒めて置こう: 日本の役所(官僚)の感覚から見れば、当時(昭和30年頃)はまだ米軍の意向優先の時代である。滑走路下にトンネルを作るに際して米軍に反対されるリスクは大きかった。さらに同時に父も土木技術的リスクに薄々気付いていた。

 にも拘わらず(迂回道路を止めて)地下トンネル構築を起案した。豊中市や伊丹市など都市間の将来の発展の為に、仮に米軍が反対したとしても「滑走路一本」がその邪魔をすべきでないと考えたのである。


 報告書にそれを強調した。米軍にへつらわない長期的視野に立つ高い見識だった、と息子ながら思う。


つづく

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