第四百九十:泰子さんの話(387) ★父の日記から(その7)神津トンネル(5)
第四百九十:泰子さんの話(387) ★父の日記から(その7)神津トンネル(5)
相談出来なかったけれども、考えを巡らせ丈夫に作りさえすれば滑走路の表面が凹む事無くトンネルへ充分な強度を与えられる筈だし、もし問題なら地中深くに掘れば最終的に土木技術で解決出来る筈だと考えたのである。トンネル案を確信し報告書を作った。
自分が感じた先の技術的気掛かりは、報告書を受け取った人も等しく危惧するかもしれない。読む人の気持ちを和らげる為に、トンネルの必要性と事情を強調した。強調は企画案を通す為に一種の根回しである:大都市の大阪・神戸だけでなく付随する近郊都市や豊中市や伊丹市の将来の発展の見通しを述べた。これらの都市の連携と将来の発展性をたかが滑走路一本が「邪魔をすべきではない」、と力説した。それにはトンネルしかない。
自宅で殆ど徹夜で報告書を書き上げ、翌日の昼に神戸の中央郵便局まで出向き、東京の本省経由で米軍の調達部へ送った。後で思って返す返すも残念なのは、今と違って当時はコピー機械がなかった事だ。報告書は自分が作成した原紙たった一通しかなかった。長文だったから手書きで別にコピーを作る時間が惜しいと思い、送ってしまえば手元に何も残らなかった。
つづく
 




