第四百八十九:泰子さんの話(386) ★父の日記から(その7)神津トンネル(4)
第四百八十九:泰子さんの話(386) ★父の日記から(その7)神津トンネル(4)
仕事は早い方だが、私はよく働いた:調査し終えてその日自宅(=神戸市須磨区)に戻るや、疲れてはいたが早速報告書の作成を開始した。現地調査から帰宅までの電車内でも約二時間、考え考えしながら既に頭の中で概略をまとめていたから、それを文章にすれば良いだけだった。けれども、時間を掛けても結論が得られない問題が一つあった。
最後まで頭を悩ませたのは、豊中市から伊丹市へのバス路線の処理であった。一日の往復便数は確か20便位あったと思う。事前に想定していたのより可成り交通量が多かった。
この路線を、滑走路延長後に空港周辺へ迂回させるのは誰もが思いつく。けれども、そうなると単に周辺住民へ不利益を与えるだけでなく、またそれによって引き起こされる諸問題が多岐に渡り解決や関係方面の合意に至るには、(自分の経験から)長い時間が掛かると考えた。切迫する北朝鮮情勢もあり、ぬるい策では間に合わない。迂回道路案は現実的でなく、遂行は反って難しいと思われた。
解決の為には滑走路予定地の下をトンネルによって横断する以外に方法はないと考えた。けれども、滑走路のど真ん中にトンネルを掘る事の技術的是非について、自分には予備知識がなかった。或いはそんな実例が他の空港であるのかどうかも知らなかった。
滑走路には何百トンもの重量の輸送機が離発着する事になるが、地面が受ける衝撃や振動の影響は計り知れない。けれども極秘の調査であり、充分に検討する時間的な余裕も無かったから、誰か専門家にトンネルの土木技術の相談は出来なかった。
つづく




