第四百八十八:泰子さんの話(385) ★父の日記から(その7)神津トンネル(3)
第四百八十八:泰子さんの話(385) ★父の日記から(その7)神津トンネル(3)
引き受けるや、着手は速かった。直ぐに別室に籠って空港周辺の地図を広げて眺めた。数日を掛けて地図上に拡張計画線を考え考え描いた。線図を眺めている内に、出張して一度は現地を実地検分する必要があると考えた。
こうして本来の目的地をひた隠して、出張先は神戸市内とか京都市内として申請したものだ。部長の希望として:調査に出掛けるのは出来るだけ日曜日にして、魚釣りかちょっとした散歩みたいな風にしてくれないかと何度か念を押された。私が元々兵庫県出身だったから、空港周辺で誰か知り合いに出逢いはしないかと心配したのである。それ程情報漏れを恐れた。
そこまで神経質になるほどでもないとは思ったが、部長の希望を入れて日を選び日曜日に出かけた。何時も朝寝坊するのに平生と同じ時間に起床して出掛け、丸一日掛かって調査した。周辺に池は無かったから、どう見ても様子は魚釣り姿には見えなかったと思うが。
ポケットに忍ばせた地図を人目に付かないように広げて、現地の状況と比較しながら歩いた:道路や道の幅を目測で測り、人家の概数、バス通りならバス停の位置と一日の便数、神社の位置、土地の買収計画で問題となりそうな墓地の位置、農業水路の状況などを手持ちの地図に記入つつ、何が問題となりそうか自ら問題を作りながら歩き回った。
調査する間も、小型の双発機や稀に米軍の戦闘機が滑走路を離着陸していた。それらを横目にし、滑走路の拡張後には大型輸送機や渡洋爆撃機が離発着する事になるだろうと想像していた。この時期、北朝鮮との間で朝鮮半島が不穏な状況下にあり、米軍と一発触発の状態であった。万が一安保反対派に私の調査が感づかれでもしたら、大阪局が世間から袋叩きの目に遭うだけでなく、日本政府としても当然米軍に対して気まずい立場になる。
つづく




