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第四百八十七:泰子さんの話(384) ★父の日記から(その7)神津トンネル(2)

第四百八十七:泰子さんの話(384) ★父の日記から(その7)神津トンネル(2)


 当時は神戸の事務所から大阪へ転勤となって一年ばかりが過ぎた頃で、昭和27年6月に米軍の占領時代が終わり、それに続く講和条約締結の直後だった。世間では安保条約反対デモの声が街々にやかましく、火炎瓶騒動も多発し、世情が不安定な時期だった。


 こんな最中にあって、よりによって米軍の為の空港拡張計画などもっての外であった。もし情報が洩れれば荒れた世情の火に油を注ぐようなもので、国中が大騒ぎになる!計画だった。


 関係市民は勿論、市役所内でも防衛庁大阪局内でも部外者へは極秘で、情報は局長・部長・私※の3名だけに知る事が限られた。局長・部長はこれを不安気な顔で私へ話し、しかも一日でも早く基本計画案の作成をしてもらいたいと言った。

(※息子の注釈:父の記述の中に本人の職位は記されてないが、文脈から察して恐らく課長だったのだろう。そうだとしても部下に任せる訳には行かない事案だったと思う。)


 指示を受けた時、大阪局内でこの仕事を遂行できる適任者は「オレ以外になかろう」という強い自負があった。というのも、トップの局長は東京から赴任して来たばかりで関西の事情に疎かったし、他方で部長は京都大学の建築工学を出ていたが、茶室の研究で学位を持った温厚な人で緊急の仕事を急いでやれるとは思えなかった。因みに、この人は退官後今も某女子大の教授をしている。

 緊張を感じながらも、私はこの仕事を快く引き受けた。


つづく

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