第四百八十五:泰子さんの話(382) ★父の日記から(その6)同窓会(2)
第四百八十五:泰子さんの話(382) ★父の日記から(その6)同窓会(2)
それにしても中学校へ入学した時は50名のクラスが3組あったから150名位が在籍した筈だが、卒業出来たのは約90名なのは少なすぎる。不審に思って訊くと、「多くが途中で退学したでよ。あの頃は、それは不景気な時代でのうーーー」とその人は感慨深げに応えた。
当時は自分の事だけで精一杯で、学校の友達が途中で退学し数が減っていなくなった事や社会の動きなどには、思い及ばなかった処がある。当時は尋常小学校から中学校へ進む人さえ極めて数少なかった。進学してさえ学資が続かず中学校卒業は入学時の2/3に減っていたのだ。
今に思えばその頃、大正末期から昭和の初めは世相の暗い時代だった。少なくとも矢掛の田舎町ではそうで、それが結局日本が戦争を始める切っ掛けに繫がって行ったのだろうが、考え合せると今日までよく生きながらえて来れたものと思う。それだけで儲けもので、同窓会に集った面々をつくづくと眺めた。
以後毎年参加するようになって、今年(=昭和58年:全員72歳)岡山駅に近い中華料理店八仙閣に集まったのは12名。数年前から3~4名減った。話題はxx君が亡くなったとかzz君が高血圧で倒れてもうダメらしいとか、になる。毎回大した話題があるわけではないが、元気な事の証に、来年も出席したいと思う。
終わり
★筆者の息子(=今年で83である)のコメント:
私は中学校(3年制)の最終学年のクラス会(=クラスメート約60名)の世話役を引きうけているが、昨年集まったのは6名であった。父が記述している先の同窓会よりも10年年上のクラス会になっている。
集まっても病気の話はあまりしないが、この歳(=83)でクラス会に参加できる程度に健康を維持している人は確かに数少ないと感じる。参加できるだけで幸せだ。歳が入ってのクラス会は旧友に会えて懐かしくもあるが、仲間にはささやかな会費を払えない友達も少なからずいるようで、抜けた人の事を思うと何か心寂しい処がある。
私たちの時代の中学校は公立中学校だったが、父の時代よりも教育制度が整った分だけ、反ってもっと玉石混交の仲間たちであったと思う。玉石混交とは、卒業後の学歴の違い、就職の違い、経済の違いがそれぞれの人のその後の人生に大きな差を付けてしまったようだ。クラス会がエリートの人達ばかりの集まりになっている気がする。
お仕舞い




