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第四百八十三:泰子さんの話(380) ★父の日記から(その5)習字の話(6)

第四百八十三:泰子さんの話(380) ★父の日記から(その5)習字の話(6)


 下手なくせに、それを自覚せずに乱暴な走り書きされた字を見ると、文字は人に読まれるためにこそ書くのだと思うと、読まされるこっちは腹立たしくなるものだ。実はこの部類の一人が私自身で、偉そうなことは言えないのだ。


 せっかちなせいか、書き始めるとつい早くなってしまい、途中で思い直してゆっくり丁寧に書くように反省する事がよくある。今更自分の人柄は変えられないから、文字からこれを見抜かれないようにしている。


終わり


★筆者の息子のコメント:


 時勢の流れで、仕事の上でも私的な通信でも、今や文字を書く機会が少なくなった。今はワープロで、書き直しも訂正もワンタッチだ。字の上達どころか、漢字の知識もあいまいとなりがちだ。便利になったと言えるが、手書き文字を見る機会が減ったのを淋しく思う事もある。父の時代、特に公務員の場合は文字を書くのが仕事だったと知り、「読み易い文字」を書くのは仕事の基本だったと気づいた。


 生前、私は父の書いた文字を見る機会が殆どなかった。年に一度書いていた年賀状のあて名書き位だ。(墨は使わず)筆ペンで書いていた。けれどもその頃は、「文字の綺麗さ」と「その中に反映されている人生」を見抜くだけの技量が、私には無かった。若かったからだ。


 今にして僅かに偲ぶ事が出来るのは、遺された複数の手帳に手書きされた日記と少しの思い出話である。それらの文字はどれも悪筆の私より「遥かに」上手で、読み易い。敬服する。


 上手に書かれた美しい文字を見るのが私は元来好きで、展示会などが身近にあれば覗くくらいだ。けれども父が書いている通り「文字は読まれる為にこそある」という点と、能筆や上手よりも「読みやすい文字」が大切と指摘されて、実に成る程と感じ入った。

   *

 名筆や達筆な字というのは修練を重ねた結果出来あがったもので、確かに美しく賞賛に値する。けれども、いざ仕事をさせれば、果たして文字の美しさに見合うだけの成果を上げ得るかとなると疑問符が付く。字の修練と仕事の修練は違うからだ。


 言わずもがな、仕事(=人に何かを伝えたい意志)が先に生じて、結果として文書・文字を書くという順番になる。この順番が逆になる事はない。この意味で文字は従の立場で、召使いだ。


 となれば、達筆となるべく猛練習に多大過ぎる時間を消費するよりも、ビジネスマンであるなら「読み易い文字」の達成までに留め置いて、他の時間を仕事に精を出す事に費やす方がもっと大事だという気がする。父の言葉は「仕事師」だったからこそ、のものと思う。

  *

 そんな父の手帳の中身を眺めていて気が付いた点が、もう一つある。文字が二種類ある事だ:(ここに転載している)「思い出話」などは上手な文字である。が同時に、手帳の端っこに自分の心覚えのためか鉛筆でしたためたり、人の住所などや、ちょっとした思い付きをメモっている走り書きが到る処にある。それらは大変乱雑で判読できない。同じ人が書いたとは思えない位だ。「文字が人柄を表す」というなら、まるで「二重人格」になる。


 この事実は:字が上手な人には、「人に見せるため・読んでもらうため」用のよそ行き文字と、自分のメモとして人が読まない「よそ行きでない」文字と、二種類あると分る。私なんかは下手が習慣づいているから、元々悪筆一種類しか無いが、上手な人は二種類を使い分けている。驚くべき発見という程ではなく、一般的に人は誰もがそうではないかという気がする。こんな経験が外にもあるからだ:


 以前会社にいた事務員N子は、自他ともに認める非常な達筆だった。けれども、ちょっとした不始末を起こして止む無く自ら自己退職したのである。この時に退職届を手書きで書いて提出した。退職届の文字を見て日頃の達筆とまるで大違いで、到底「同一人物」が書いたとは思えなかった。下手だったのだ。


 恐らく、日頃の仕事で書く時は心身が張り切っていた状態だったのだろう。が、心ならずも退職となった時には気持ちが「失意の底」にあったためかと思う。同じN子の文字の余りな違いに接した驚きを今も覚えているくらいで、私の配偶者も文字を眺めて不審を感じた。


 それは決して乱雑に書いたものではなく、正しく字が泣いていたのだ。自分の不始末だったとは言え、彼女の深い哀しさをそこに見た気がした。この時ほど文字が心の状態を赤裸々に映したのを外に観た事がなかった。一方で、一体どっちがN子の本当の姿だったのかと怪しんでいる。

 文字は性質や人柄を表すのと同時に、その人の心の状態をも映すという気がする。これは父の思い出

話から気付いた、私の一つの発見である。


 となればーーーと憶測される。父が手帳に記述した「思い出話」は(どれも読み易く上手な文字だから)「人が読む」事を想定して書かれたらしい、とこれも又一つの発見である。そして手帳の読者は(自分に似ている)息子かもしれないと、思ったろうか。この推測は案外「当たり」かも知れない。読まれて、父は感謝している筈だ。


お仕舞い

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