第四百七十九:泰子さんの話(376) ★父の日記から(その5)習字の話(2)
第四百七十九:泰子さんの話(376) ★父の日記から(その5)習字の話(2)
何時も努めて字の上手な二人を手本にして練習するような積りで書くのだが、生来の不器用のせいかなかなかうまく書けなかった。上手な一人は発電所の地元の人で大して学歴の無い作業員だったが、それだけに綺麗な字を見てヘンに怪しみ、悔しい思いが募った。
水力発電所のある地区は山奥の大変な田舎だった。近在の住人にすれば、サラリーマンになりたければ、勤め口など外にある訳ではなかった。だから、学歴の無かった彼は発電所に職を得んが為の目的で、作戦として綺麗な字を書くべく猛練習をしたのだろう。そうではないか、と私は疑った。(今のようにワープロがある訳でなく)超達筆な手書きの履歴書を見れば、面接官が感動し思わず採用するに間違いなかった。筋書通り彼は首尾よく一流の安定した職を得た。
これは当時の私の勝手な邪推だったが、今思えばこれは正しいだろうと思う。発電所に生涯の職を得ようと死に物狂いで字を練習した相手と競争すれば、初めから根性と意気込みが違う訳で、こっちは敵う筈が無かった。
その後私は京都にある淀変電所へ転勤したが、ここでも交代勤務で日誌を付けた筈だが、字の下手さで悩まなかった処をみると、木曽で練習して私が人並程度な字を書けるようになっていたからか、或いは日誌付けの他の人達の字が案外綺麗でなかった為だろうと思う。
つづく
 




