第四百七十三:泰子さんの話(370) ★父の日記から(その4)マラソン
第四百七十三:泰子さんの話(370) ★父の日記から(その4)マラソン
「恐らくはただ一人なる読者として父の遺せし日記読むなり」(吉村一)を、私は今も継続している。
小さな手帳に父が書き遺したのをここに転載しているが、肉親以外の第三者に分かりにくい難い部分もあり回りくどくて冗長と思う部分もあるので、一部加筆したり省略したりしている。★以下は昭和59年2月20日、父が72歳の時の記述である。
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たまたま入った喫茶店で、女子マラソンのTV中継をやっていた。走っている小柄な女の子を観ていたら、自分が矢掛町の中学生の三年生時代(注:当時の中学校は「5年制」であった)に走ったマラソンの田舎道を思い出した。運動会の呼び物の一つとしてマラソンがあって、三年生以上の中から希望者だけが出場する事になっていた。
三年生の時、運動会の2ケ月程前の体操の時間に、教師が出場希望者を募った。
マラソンは苦しい競技だから、教師から言われても皆あまり乗り気ではなく、全員少し考え込んでいた。この時だった、最初に自分が手を挙げて出場を申し出た。これを見て体操教師は、「エッーーー、XXX君。お前が出るのか!」と思わず叫んだ。教師の驚いた顔を今も覚えている。マラソンに最も不向きな生徒と思われていたのだ。
つづく




