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第四百七十二:泰子さんの話(369) ★父の日記から(その3)本箱の思い出(7)

第四百七十二:泰子さんの話(369) ★父の日記から(その3)本箱の思い出(7)


 それから何十年と時代が過ぎた。途中戦争もあった。歳が行き私は定年退職を迎えた。そして意外な真実を知る結果になった:


 3~4年前(=筆者が72歳の時)だったが、郷里の矢掛で中学校の同窓会があって、初めて出席した。もう50年ぶりだったが、集まったのは12人ほどだった。この時にそれとなくFの話を持ち出したところ、すぐに2~3人の友達が応じた。


 「ああ、彼は死んだよ」と口を揃えて言った: 「あれの家はのう、肺病(=肺結核)の系統で、Fの兄弟もその嫁も、み~んな肺病で死んだんだ。全員が死に絶えて家も絶えてしもうたんよ」※


 ※この時代、一家全滅はあり得た事で、肺結核は当時治療薬はなく死の病として恐れられた。発症には基本的には栄養不良が関係している。父が生まれた年(=大正元年)に死んだ石川啄木も享年26で肺結核で死亡、その妻も肺結核で死亡、啄木の母親も肺結核で死去している。国民病だった。


 Fの死後約10年程して、画期的な特効薬の抗生物質ストレプトマイシンが米国で開発されて結核患者が激減する。患者は減ったが、若い女性など極端な食事制限などで栄養失調となり現代でも結核は完全には撲滅されていない。(注:筆者の息子の調べ)


 遠い過去で直近の事件ではなかったものの、F一人ではなく死の悲劇は他の家族をも襲っていた。同窓会の人達は人ごとのように語ったが、私は一種の残酷さを感じそれなりにショックを受けた。改めて昔のFの間借り生活に思いを馳せた。Fの文学への熱かった志は痕跡も残さずとうの昔に蒸発して無くなっていた。


 この時、にわかに思い当たった:中学生の身分でFがウチの敷地内に間借り生活をしていたのは確かにヘンだった。ヘンに思うべきだった。当時家人の誰かが既に肺病を発症していたのだろう。恐らく間違いない。一番歳若かった彼が罹患しないように親が隔離生活をさせたのだーーー、これが中学生の「間借り生活」の真相だった。初めて彼を正しく理解した気がした。F君、ごめんよ、君を知るのに半世紀も掛かったーーー。


 しかしFのお陰で若い当時沢山の文学を読めて、以後私は生涯本に親しむようになった。藤井成器である。彼の青白かった顔と何となくしゃれた風に感じていた名前を思い浮かべた。Fは私の中でぼんやりと若いままの姿で今も生きている。あの時、何故彼はあれほど文学論に熱中したのだったろうか。


お仕舞い

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