第四百六十七:泰子さんの話(364) ★父の日記から(その3)本箱の思い出(2)
第四百六十七:泰子さんの話(364) ★父の日記から(その3)本箱の思い出(2)
中学校を卒業しても上の学校には行かせて貰えない事になっていた当時、矢掛の田舎町で商店人になる道しかなかった(注:父親は置き薬の行商人であったが、家を守る母親は自宅で小さな文房具店を営んでいた)。自分には専用の本箱を持つなど生涯出来ないだろうと、銀行員の本箱を眺めながら淋しい思いがしていた。暗くなった土手から本箱のガラス扉を何時も眺めていた。
丁度その頃であった。「同級生のF君」がウチの裏手にある離れの一部屋に間借りする事になった。4年生か五年生だったとは言え、中学生がたった一人で間借りするのは、今思えば不自然だが当時はなぜか不自然には思わなかった。ずっと後になって間借りする理由に合点がいったが、後で述べる。
なお、この離れの部屋は、私が物心ついたころから何時も誰か他人が間借りしていたので、自分の家の敷地内に他人が住むのはむしろ当たり前の事として自然に受け入れていた。自分が覚えている間借り人は、軽便鉄道の矢掛駅の駅長夫婦・独り者の老婆・女学校の女教師であった姉妹・巡査夫婦などが順繰りに住んでいた事がある。
ウチでは間借りさせることによって家賃収入が家計の足しになっていたのだろう。離れの部屋は二つあったので、同時に二組を間借りさせる事もあったから、田舎だけに敷地だけは無駄に広かったのである。
先のFが間借りした部屋の前には梨の木があって時期には花が咲いて綺麗だった。Fは隣村の歯科医の次男で、実家は(私の目には)目を見張るような立派なもので金持ちであった。今も覚えているが、非常に驚いた事が一つある。
つづく




