第四百六十六:泰子さんの話(363) ★父の日記から(その3)本箱の思い出
第四百六十六:泰子さんの話(363) ★父の日記から(その3)本箱の思い出
「恐らくはただ一人なる読者として父の遺せし日記読むなり」(吉村一)を、今も継続している。
小さな手帳に父が書き遺したのをここに転載しているが、肉親以外の第三者に分かりにくい難い部分もあり回りくどくて冗長と思う部分もあるので、一部加筆したり省略したりしている。★以下は昭和58年8月、父本人71歳の時の記述である。
*
昨年の暮れに二階の洋間を改造して自分用の部屋を作った。大工に頼んだのは九月頃だったが、その頃から部屋に置く本箱を探し始めた。ひま暇に何日か掛けて幾つかの専門店やデパートを回って、結局元町にある大丸デパートで見つけて購入した。店員の強い勧めもあったし僅かな値引きで決めたのだが、予算とサイズが丁度良かったからでもある。23万円であった。
搬入と支払い手続きをしながら、この買い物が私の生涯最後のぜいたく品になるかなと思った。
(★手帳の父の原文では、これだけの内容をA4で1ページの分量で書いているので、上の通り簡潔化した)
本箱には思い出がある: 中学校4年か5年だったか(注:当時中学校は5年制であった)、17~8歳の頃だった。夏の夕方家(=岡山矢掛町)の裏手にある土手道を東の方へ歩くと、電灯が付いていて部屋の中が直ぐ見える家があった。土手の上から内部がよく見えた。どういう訳で知ったか忘れたが、その部屋は芸備銀行に勤めている銀行員が間借りしている部屋だった。
部屋にはガラス扉の付いた本箱があった。何の本か分からないが何かの全集らしいものが一杯に詰まっていた。今にして思うと、ごくありふれた幅が精々1m少々のものだったが、何とも羨ましく、素晴らしい家具に見えた。
つづく




