第四百六十三:泰子さんの話(360) ★父の日記から(その2)県庁勤めの思い出(2)
第四百六十三:泰子さんの話(360) ★父の日記から(その2)県庁勤めの思い出(2)
昔の事なのでその後どういう手続きと流れがあったか忘れてしまったが、兵庫県庁を訪れて早速土木部総務課勤務の辞令を受けた時、これが余程嬉しかったものと思う。その日県庁の最寄りの神戸駅から京都の下宿先へ帰るのにさほど遠距離でもないのに、贅沢をしてわざわざ急行列車に乗ったのを覚えている。一刻も早く報告しなけばならない人が居た訳でもないのに、気分が高揚していたからだろうか、今思い出してもおかしい。
兵庫県庁の仕事で私の前任者は京都大学(当時、京都帝国大学と言った)出身の工学博士で相当高齢な人だった。私の着任後ほどなくして辞任し、私が後を継ぐ事になった。総務課の仕事は、兵庫県が造った(=兵庫県が所有者)姫路の揖保川や千種川の上流にある複数の水力発電所を管理する主任技術者というものであった。中で一番大きな発電所は安積水力発電所だったが、当時未だ建設中で私が着任後半年して完成した。
(※安積発電所は、昭和14年完成して落差71mで水車2基で総出力は9900kWである。これは今日の原子力発電の原子炉1基の出力が100万kW程度だし、また我が国にある風力発電の風車1基でさえ最大9000kW級の物も存在する(世界的に見れば一基で1.5万kWの風車もある)から、安積発電所が大きいといっても、現在の技術の視点からは小規模な発電量である。時代が違ったのである:筆者の息子が調査)。
安積発電所が完工してしばらくは、兵庫県庁内の仕事と当発電所の所長を兼務した。まだ独身の27~8の若僧である。発電所内の年上で妻子もある職員達の前に主任技術者兼所長としてやって来たのだから、職員達には面白くなかった事だろうと思う。露骨な嫌がらせを受けた事は無いが、仕事をする上で何となくそんな気配の感じられる事があった。
つづく




