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第四百四十九:泰子さんの話(346)  飛行神社の話(父の手帳から)(2)

第四百四十九:泰子さんの話(346)  飛行神社の話(父の手帳から)(2)


 思えばあれから45年が過ぎた、ほぼ半世紀だ。25か26歳の頃であった。

 大同電力(株)の木曽川発電所から京都にある淀変電所へ転勤になった時である。木曽の発電所に勤務していた時は社宅や独身寮らしいものがあった。けれども淀変電所は職員の数も少なかったし、今のように転勤してきた社員の為に会社が宿舎を世話する制度もなかった。自分で住居を探さねばならなかった。


 今もあると思うが淀変電所は京阪電車京都線の淀駅から1キロ東の田園の中にあって、付近には後で再記するが、敷地の広いダンスホールと所属のダンサー達が生活するアパートがあった。その外に民家はなく遠方に淀競馬場の建物が見えるばかりであった。下宿を探すとなると、最寄りの淀駅から一つ二つ大阪寄りとなる民家が多い八幡駅付近で探すより無かった。


 八幡駅から少し離れ処で探していて、たまたまかなり大きな屋敷の前に来た。構えた門前で道を箒で履いていた婦人が居た。如何にも奥様風であった。こんな大きな屋敷なら一部屋くらいなら空き間があるだろうと思った。遠慮がちに訊いた:

「この付近で下宿を探しているのですが、どちらかお心当たりがないでしょうか」

婦人は暫く私の様子を眺めていた。


 やがて、「丁度、良いお家が一軒あります」と教えてくれた。八幡駅からすぐ近い家をだった。先の屋敷と違って、二階建ての案外小さな家で五十前位の女の人が一人住んでいた。和裁で生活しているらしかった。当時でさえ大変古風と感じる日本風な髪形をしていて、色の白いふくよかな顔立で、純粋な京言葉を使った。二宮喜久子と言った。


 この家に厄介になることになって数日が過ぎて、喜久子さんが京言葉でこんな説明をした:

「先日貴方をウチへ紹介してくれたあの奥様とは昔から知り合いです。奥様が云うのには: 真面目そうなおとなしい人と見受けたので、お教えしたのです。私もあの奥様が云われるような人なら良い人だと思って、お世話する事にしたのですよ」


つづく

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