第四百四十四:泰子さんの話(341) 父の日記
第四百四十四:泰子さんの話(341) 父の日記
新聞を読んでいて、こんな短歌を見つけた:
「恐らくはただ一人なる読者として父の遺せし日記読むなり」(吉村一)
長年同じ家族の一員であったとしても、それぞれの心の内は案外と知らないものだ。先の短歌は遺された日記を覗いて、初めて父親を理解したーーー心情なのだろう。この短歌が目を引いたのは、偶然だが私が同じ事をしていたからだ。
私の場合探し物で押し入れの奥を探索していて、そこから小さな手帳が固まって5冊転がり出て来た。めくってみて、もう二十五年も前に死んだ父の物と分かった。探し物の手を休めて中味を眺めて気付いたのは、手帳の中に日記も含めて「多くの文章」が発見された事だ。日記はその日その日の出来事を2~3行にメモっているだけだが、継続して書いたのは1~2年間で、暇だったのだろうが本人が65~78の頃だ。
加えて同じ手帳の余白のページに、若い頃の昔の思い出を綴っていた。数行づつの短い日記よりも、思い出話の方に私は興味を抱いた。小さな手帳に小さな文字で、こっちは老眼でもあり読み難い。会社で拡大コピーを作って改めて読んだ。
明日へつづく




