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清姫

4.清姫


 男は女の父親と母親へ挨拶した。その後で、村一番の店から取り寄せたビフテキをご馳走になった。好き嫌いの多い男は、肉が嫌いである。のっつこっつしながら、噛まずに呑み込んだ。


 昼食を済ませてから、女は男を蜜柑山へ誘い出した。沢山な木が、それぞれに未だ青い夏蜜柑が沢山付いていた。年に六百貫(=2300キロ)採れると言った。金柑の木も柿の木も植わってあったが、それらは実を売るのではなく、自分たちが食べる為におまけで植えてあるだけだから、無農薬で何の仕掛けも無いのよ、と女は強調した。心配性な男は、売る方には毒の仕掛けがあるみたいな気がした。


 身の丈より大きな一本の柚子( ユズ)の木の傍まで来て、悪戯っぽく男をからかった:

「この柚子は私が三つの時に植えたのよ。この木は植えてから何年も実が付かないの。ねえ、付くのに何年掛かるか知っている?」


 男は見当も付かず、「♪モモ・クリ三年、カキ八年ーーー」と言ながら、そこで詰まった。女が節を付けて後を引き受けた:

「♪ユズのバカヤロ十八年、私がお嫁に行く頃に、花が咲くやら咲かぬやら!♪」

「ーーーー」

「生まれ歳の三に、十八を足したら21になるわ」と女が付け加えた。

 女が21であったのを男はやっと思い出し、女の機知に酷く感心して天才ではあるまいかと思った。


 蜜柑山から降りて来て、女は家からほど近い道成寺へ男を連れて行った。歌舞伎の悲恋物語「娘道成寺」で有名な名刹。大きな寺で、日曜日だったせいか他に十数名の老若男女の観光客がいた。それへ混じって拝観し、やがて一緒に広い座敷に導かれ、法話を聴く為に女と男は二人仲良く並んで正座した。僧の語る、寺の歴史や伝わる縁起に神妙に耳を傾けた。


 式台みたいなやや高い処に立った五十前後の墨染めの寺僧は、伝わる寺宝の複製という絵巻物を取り出し、くるくると巧みな手さばきで開帳して見せ、それが拡大されて傍の白い壁面にプロジェクターで写し出された。文明の利器である。

 あでやかに色付けされた絵図を示しながら、若い修行僧であった安珍と清姫の恋の物語を、寺僧は面白おかしく語って拝観者を笑わせた。やがて物語はしんみりと濡れ場へ来る。ここからが実は問題である。


 安珍は修行の身、哀れや二人の恋はついに壊れてしまう。安珍は清姫から逃亡し、諦め切れない清姫は恋に狂って後を追う。追いかけて紀州の大河日高川の岸辺にやって来た清姫は、小舟で逃げる安珍を恨んだ。恋しさ百倍、憎さ千倍となって怒りに燃え狂い、ついに身が大蛇に変身し大河を泳ぎ渡り始める。

 神戸の男は自分が追われるみたいに感じて手に汗を握り、話はクライマックスへ進む。


 大蛇に追われた安珍は、対岸にあった道成寺の鐘の中に隠れ込む。鐘は地面に伏せられた。口からめらめらと赤い火を吐きながら追いついた大蛇清姫は、切なげに鐘に絡みつき、ついに真っ赤な情焔で鐘ごと安珍を焼き殺すのだ。火あぶりの刑。凄絶な場面が、プロジェクターで映し出された。


 語っていた墨染めの寺僧が一瞬口をつぐんで、ここで一呼吸置いた。この時じっと自分の方へ目を据えた気がしたから、男は嫌な予感がした。何故女はこんな所へ自分を連れて来たのかと、怪しんだ。さっきの揺れる神棚の話を思い出して、男は又「ヘンな気分」に襲われた。


 物語のお仕舞いを、僧は謎めいた言葉で結んだ:「男を焼き殺すほど、紀州の女は情が濃いーーー」

思わず女の方をそっと伺ったら、卵型をした女の顔が小さくニタリと返したから、男は訳も無くギクリとした。


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