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祈願する女

2.祈願する女


 女は大阪市内の狭いアパートの一室で、独り暮らしをしていた。生れは紀州和歌山の日高村の産で、高校卒業まで在所した。大阪市内に叔父さん夫婦が居て、初めはそこへ寄宿していたのだが、叔母さんと折り合わず、女が決断力を見せて今のアパートへ移り住んだ。

 水道の水が臭うし、大阪の空気を吸い続けると肺が腐ると言って、女は週末には決まって、綺麗な空気と日高川の水を求めて紀州の実家へ帰省していた。大阪から、三時間もあれば帰り着く。


 蜜柑を作る農家で、父親は町会議員をしていた。女ばかり四人姉妹の長女で、幼少から「家を継ぐ者」として育てられ、高校生になった時、父親の名代として葬式や親戚付き合いに出る幕も良くあった。田舎では今でも、長男・長女は大切にされ値打ちがある。女は若かったがシッカリ者と見られて、村の道で行き会う人は一々女へ声を掛けて挨拶し、本人にもその自覚があった。


 社内で知り合って四ケ月ほど経った夏の日曜日、男は招かれて初めて日高村の女の実家を訪れた。朝の十一時頃である。大きな農家だった。屋内へ一歩入るや、家の中にも土の地面があるのを知って、神戸の都会生まれの男は単純にびっくりした。


 女はそこをタタキと呼んた。地面は冷たいから夏にただで冷房の役目をする便利な仕組みだと教えて、何でも仕組みに興味を持ちたがるエンジニアの男を感心させた。古いが、がっしりした造りの屋内は柱も板戸も真っ黒で、この為に薄暗く感じたが、女の言う通り真夏だのに空気がひんやりした。


 女は男の手を引いてタタキから十畳程の客間に上げた。それがその日の最初の重要な行事であるらしく、部屋の正面脇にある神棚へ連れて行った。こじんまりした神棚が鴨居の上にあり、新鮮な榊の青い葉が左右に添えられていた。前もって部屋も神棚も清められ、それが男へ清々しい印象を与えた。


女は神棚の正面に独り真っ直ぐに立った。が、男にはそうさせず、直ぐ横で女の方へ向けて立たせた。男は神棚に対して横向きになる。1m程の間を置いて、女の横顔を眺める形になった。

神棚に向った女は手を合わせてぶつぶつと念じ、祈願を始めた。光が乏しい広い家の中は、女と男の他に人が居ないかのように、しんとしていた。手持ちぶさたな男は、祈願する女の横顔を立ったままぼんやり眺めた。


 開け放たれたガラス戸から夏の明るさが男の目を射て、逆光の中で、祈る女の立ち姿が黒いシルエットに浮かんでいる。目を開けたまま瞬きをせず熱心に願を掛ける女の横顔は、まるで鋼鉄で出来ているみたいに冷く光を反射していた。

七つ年下で職場では案外幼く思っていたのに、まるで別人に見えた。普段とは違う近寄りがたい雰囲気に、男は何やら気おされる気がした。



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