第四百十七:泰子さんの話(314) 過去を捨てる
第四百十七:泰子さんの話(314) 過去を捨てる
96だが泰子さんはいたって元気である。昨年一月に生まれ故郷の岡山市から(私が呼んだのだが)神戸市に転居した。私が保有するマンションに一年住んで、立派に私への義理を果たした。そしてその一年後の今年3月に、当のマンションから今は介護施設Dへ移籍して新生活にチャレンジしている。上等の施設だ。泰子さんは生活や住居の変化にストレスを感じている風はなく、むしろ次々と変化する「新しい環境」を楽しんでいる様子だ。
歳が行けば保守的になり、自分の生活スタイルを変えたり環境が変わるのを嫌がるものと聞いていた。けれども泰子さんに限りこれは無く、どちらかと言えば積極的に変化を好むみたいだ。古いものや過去は振り捨てるべきだと考えている風がある、過去に執着しないと言えようか: 仏教であるが家に仏壇はないし、死んだ娘や夫などの位牌もないし、その人達の写真もアルバムも一切が無い。
海外旅行した時に買った思い出の高価な品にも執着しない。岡山市時代に若い時から修業を積み慣れ親しんだ高価なお茶道具にしても、神戸へ移住するときに全て叩き売った。苦労して得た知識でも平気で忘れる事ができるのだ。今の泰子さんは、過去のものは殆ど何も手持ちしていない、ある程度のお金以外は。
切り捨てた過去の古いものは、何処に行ったのだろうか? 心配しなくてよい、ちゃんと全て泰子さんの脳内に記憶として蓄えてある、と本人はそう言う。実際記憶力は抜群だ。泰子さんの論理に従えば、過去のものを現実の座右に大事に置いておく必要は無いのだという。同じものを、脳内と机の上との両方に保有するのは二重に保管する事になり、無駄なだけでなく、場所を取るし、在ればけつまずくだけだ。
つづく




