一癖も二癖もある
2.一癖も二癖もある
多数決・民主主義の場合、決議が正しくなくて結果として上手く行かず失敗しても、誰も責任を取らなくてよい:みんなが「そう決めた」のだから。責任があるとすれば、「みんな」です。つまり、責任の所在が不明。今後の英国経済の行く末も、そんな結果にならなければ好いがと気がかりですが、判断の正誤は歴史に委ねられるのでしょうか。
戦争の悲惨・沖縄や広島の悲劇: オバマ大統領が広島を訪問して哀悼の意を示してくれたと私達は嬉しがり、マスコミは大々的に取り上げました。けれども(推測ですが)アメリカ人の何割かは、こう思うのではないでしょうか:
日本が戦争に突き進んだのは、多数決で決めた日本人の「民意・総意」の「選択の結果」じゃなかったのか? 日本人は誇り高き国民で、未開人じゃないと聞いている。
そんな賢い国民が勝手に起こした戦争だ。負けたら、かすり傷程度じゃ済まず、手痛い目に遭うのは分かっているじゃないか。だのに何を今更あれこれとーーー(米国が悪者みたいに)言い立てるのかい? ワシの息子(或いは、父親)だって、日本人との戦争で殺されたんだよ。日本人の死者より、数は少ないだろうけどさーーー。
多数決・民主主義が正しいと限らないのは、上の例だけでなく会社の経営でも顕著です。上場会社と規模はまるで違っても、ウチで仮に社員総会をやって「民意と多数決」を採れば、直ぐにこんな決議がなされるに違いない:「うず高く積まれた会社の留保金(=貯金)」を、皆で直ぐに「山分け」しようぜ! 賛成・賛成、大賛成!
だから、私は社内では民意を問わない事にしています。
幸せで安定した社員の生活を会社が保障する為には、今の給与に甘んじて目先の利である「山分け」を我慢しなくちゃなりません。が、これに賛同する社員(言わば、大衆)は殆どいません。だから、それを「抑えるべく」上に立つ者の適切な形の「権力と統制」が不可欠です。
権力は乱用され得るもの、確かに。だから、「独断と偏見と権力の集中」はいけないものと即断し勝ちです。ですが、それを恐れる余り、権力の不在が(=許され過ぎた自由が)幸せにつながらない例は、世に枚挙にいとまがありません: 先の会社のお金の山分けの問題・言いたい放題でまとまりの無い近所の自治会・性の乱脈・離婚の多発・定年後の朝寝坊などーーー。
ウチは独断と専横で三十年以上やって来ています。99.98%の会社が(三十年間の存続率で言えば)潰れる中で、潰れずに継続しているだけで社員は感謝すべきでしょう。明日にでも、銅像を建てるべきだーーー。
差し障りがあるから社名は挙げませんが、世の中の伸びている会社(或いは「注目を引く」と言ってもいい)を御覧なさい。経営者は腕もいいが、「独断と専横」で大概一癖も二癖もある人物のようですよ!
民主的で立派な人格者というのは、無能と言うのと似通っており、そんな経営者はあまり居ないのじゃないのーーー? どこか虫が好かないから、個人的には友達にはなりたくない人物達です。
けれども、社員に立派に給与と賞与を払い続けて生活を保障し、出世させてやるなら、リーダーに対して外に一体何が欲しいというのでしょうか? 色々と悪口は言われるが昔の田中角栄も、政治家としてそれなりに良くやったと思うよ。
結果論ではありますが、英国の首相キャメロンは国民投票などやるべきではなかったーーー、今更もう遅いですが、そんな気がします。
完
比呂よし




