過酷な人生
63.過酷な人生
そう思う一つの根拠がある:
人に会うのが、実は私は今でも余り好きではない。本来の自分は、休日に会社の薄暗い倉庫へ降りて、他人に邪魔されず独りむしむし床のペンキ塗りをしたり、誰も居ないしんとした部屋で、機械の技術実験をやったり、考え込んだりするのが好きだ。静かに図書館で本を読むのも好き。この歳になってさえ私が治らない赤面症なのは、それを裏付けている。孤独を好む「内向的な本質」は、小二時代から少しも変わってはいない。
これと正反対に、外向的で朝から晩まで人に会うのが商売で、一頃は業界でトップセールスで鳴らし、言葉巧みに物を売りつけていた「別の自分」が居る。これほど本質と裏表のある人生を生きた人は多くはないだろう。二つの違いは少々の落差ではないから、同一人間とは思えない位で、 「ホンマかいな?」と自分で疑ってしまう。
こんな事を考えると、実現の可能性の高かった、もう一つ別の「自分に似合った」人生があったように思う。それは少しも難しい事ではなく、小二の「女の子に遭遇しなかった」と想定される人生、それだけの事である。この場合、(仕返しの為に)「絶対、社長になる」というまでのトラウマに囚われる事は無かった:
主任教授の推薦する大会社にすんなり就職するなり、そうでなければ誘われた研究者・学者への道を選んだ可能性も高い。或いは中堅企業T社のエリートコースの就職先を、そのまま辞めないで歩き通す道もあった。
選んだ会社で、課長か上手く行けば部長位までになったかも知れない。それが、決して悪い人生とは思えない。どの選択肢も容易く選び取れた筈で、そうすれば、西陽を追いかけ回す悪夢にうなされる事も無かった。死に物狂いでトップセールスになる必要も無かったに違いないし、配偶者を病気にさせる事もなかった。人生は申し分なく満足出来るものに成り得る。
家族を含めた私の人生は「もっと安泰」で、「もっと穏やか」で、そこそこ出世して、若い時期の人生を「もっと楽しめた」と思う。そんな「人間らしい」人生を投げ打ってまで、「アカンタレでないのを立証する」のが、大事だったろうかと思ってしまう。
人生は自分と家族の幸せの為に使うべきであって、他人へ「仕返しをしたり」・「アカンタレでないのを立証する」為のものではない。道端の野花の可憐な美しさにも目をとめ、楽しみをそこへ見つけ愛情を注ぐ事も出来た。
小二時代、一瞬間だが二人が薄暗い山中で互いを見つめ合ったのを、覚えている。彼女の顔はもうおぼろげである。これが初恋で、結局私はずっと彼女を好きだったのか? 正直な処、私にも良く判らない。この歳まで棲家を探し続けたのだから、「忘れ得なかった」のは確かだがーーー。
学校の帰り道に、天体運動みたいに手提げ袋を振り回していた女の子に、私が初めて声をかけた時こそが、悪魔の仕掛けたワナだった。女の子に責任は無いとしても、結果を見れば:
それ以後彼女は私の首根っこを捕まえて放さず、「アカンタレ!」となじって苦しめた。私のゼンマイのネジを巻き、私と家族を生涯に渡って「引き摺り回した」事になる。これが過酷でなくて、何と呼ぶべきやーーー。
女の子の存在が、好きや嫌いや初恋と言う安いランクでないのは、そんな処にある。彼女が生きているなら「逢ってみたい」とは思う。万感の想いで悔し涙が出るかも知れない。
ただ、彼女にしてみれば逆に、私の事を「決して逢いたくない人間」と思っている気もする。向こうが覚えておれば、の話だが。
そんな自分のトラウマに、晩年になって初めて気が付いた。考えてみると私一人に特別な事ではなく、これはどの人の人生にも起きる事なのかもしれない。幼少時代の強烈な体験が、大なり小なり身に沁み込み人格に影響し、その人の進路の選択を左右しているのだろう。ただーーー、殆どの人が体験を忘れてしまい、生涯を支配しているトラウマの存在に気づかないだけの事かも知れない。




