お金持ちに見えた
59.お金持ちに見えた
山道で「もう帰るよ」と弱音を吐いた時、彼女は私を引止めなかった。茶店は眺めの綺麗な処だから頑張って歩け、と励ましを言ってくれても良かったのにーーーと思う。安心させる為に、帰り道は送ってやると何故言わなかったろう?
いや、そんな思いやりの言葉や眺望が三国一という広告宣伝は、案外成長に伴って身に付く技術で、大人の思考かも知れない。美しい眺望など生まれた時から毎日腐るほど見飽きていたから、彼女にはどうでもよかったろうか? 自分がどっさりもっているものは、一向有りがたくないのが人の常で、それが男の子へ自慢するほど格別とは考えなかったのだろう。
山の夜はランプの生活だったろうーーー。戦後間もなくであったから、どの家も大なり小なり生活が困窮していた。ウチも例外ではなかったが、それでもーーー電気はあった。
多分ーーー、いや、当時の茶店はきっとバラック紛いのみすぼらしい小屋だったのかも知れない。子供心に女の子は、貧しさを友達に見られるのが恥ずかしく、それを苦にしていたかも知れない。これは充分に考えられる。登山口で昔、彼女が如何にも言い難そうな口振りだったを覚えている:「ウチでは茶店をしているーーー」
通学に自分はみすぼらしい手提げ袋。ランドセルの(それ故に、「お金持ち」に見えたに違いない)男の子と同道し、茶店まで連れて行くのは、友達の少ない女の子に嬉しくはあった。けれども他方で、やがて行き着く木造の茶店が御殿のように美しい筈はなかったから、有り難迷惑な処もあったのだろう。一緒に山道を登りながら、男の子に対して始終「口数が少なかった」のは、そんな心の負い目と葛藤があった。
二人は幼な過ぎた: 深い山の中にたった二人一緒に居るというだけで、気恥ずかしく、言葉を多く交わす事もようしなかった。止めようもなく始ってしまった「山登り」という事態を、彼女はどう解決しようもなく、困惑してしまった。結局「ジュースをふるまう」という特典で、私の食欲に訴えるのが一番と道々考え付いたのだ。
売り物のジュースは、茶店の生活の糧である。山の上まで重い瓶を運び上げるのは、当時親は骨だったろうし、登山客相手に売る値段は下界より高いから、ジュース一本と言えども貴重品ではある。ランドセルを買って貰えない茶店のやり繰りを、女の子は子供心に勘付いていた。
「着いたら、ジュースをあげる」 そんな事を言えば、親に叱られるかもしれない。だからそれは思い切った提案だった。いや、叱られはすまいーーー。何故なら、それは店で売る分のジュースではない。その日のおやつに貰える予定の自分のジュースが一本あるから、その半分の量を男の子へ分けてやるなら叱られまい。
いや、今にもぶっ倒れそうな男の子を眺めて、自分のを丸々一本やっても構わないと女の子はあれこれ考え直し、そんな思考に小さな胸を痛めた。一方で、茶店に近づくにつれ、男の子に同道を許した事に次第に後悔の念が大きくなった。「もう帰るよ」と私が途中で音を上げたのは、全行程の七割まで来た地点だったけれど、彼女にはほっとした処があった。だからーーー、私を引き留めなかったのだ。
貧困が背景にある女の子の思考と逡巡を思い遣ると、今の豊かな時代の常識で、大人並みの解釈や親切を求めるのは間違っていよう。




