お婆さん
56.お婆さん
しかし山の神様のお陰か、半世紀以上に渡る私の夢をお婆さんはぶち壊しにしなかった。私よりまだ年上らしいーーー? お婆さんの話によると:
もう四十年以上も前になるが、昔ここにあった古い木造の茶店の営業権を買い取ったそうである。買い取る前に、自分たち夫婦は下界の須磨駅前で割りに繁盛したカレー専門店をやっていた。ここの権利を買い取り、茶店を潰して今のコンクリートに立て替えたーーー、のだそうだ。
喫茶室の奥に休憩の出来る小部屋があるが、今では昼間の営業が終了すると、店を閉めてふもとの高倉町へ下りる。建物の裏手に車が登れる私道があって、下った登山口の近所に自宅がある。夕方息子が山の上まで車で迎えに来てくれるのだと説明した。歳に似ず車道とか車だとか、お婆さんの話はえらく近代的である。喫茶室の営業は土・日と祭日の昼間三時までだと、話してくれた。
買い取った昔、元の木造の茶店の家族に、背の高い娘さんが居なかったかと、試しに訊くと:
「ああ、居りましたね。随分昔の事だけどーーー。綺麗な人で、加古川市へお嫁に行ったと聞いていますよ。確か、お相手は製鉄所へ勤めていた筈ーーー」
加古川の製鉄所なら、神戸製鋼所しかない。ウチの会社では、取引がある。
「その娘さんは、今なら私と同じ位の歳じゃない?」
「ああ今になれば、それくらいでしょうね。お幾つですか?」
「七十だよーーー」と、私。
「はあーーー」
「その娘さんとは、西須磨小学校の同級生でしてねーーー。 余り昔の事で、名前は忘れてしまったけれど、何という名の茶店でした?」
「ああ、室谷さんですよ」
名前を聞いて、私は驚かなかった。訊かなくてもちゃんと知っていたからで、「やっぱり」と思っただけである:室谷康子。
記憶に浮かばないように、しっかり蓋をして、自分が忘れた振りをしていたのだと、初めて気が付いた。




